武田一義(『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』)×中路啓太(『南洋のエレアル』)対談 「戦争という『ストーリー』の彼方を描く」

武田一義氏(漫画家)×中路啓太氏(小説家)

歴史を見る目

武田 僕が『ペリリュー』に取りかかったときは、いわゆる〝右派的〟な戦争観からも〝左派的〟な戦争観からも全く無縁なところで戦争の実像に迫るものを描きたいと思っていました。日米どちらにも肩入れしない視線で、と言ってもいいかもしれません。

 でも、連載開始後に取材で訪れたペリリュー島で、さきほどのおばあさんの話を聞いて、僕は、島民の方の目線が抜けていたことを知りました。もっと島民の方々を理解しなければと思い、そこから気持ちを入れ替えた部分があります。中路さんは、最初から島民の目線をお持ちだったと思いますが、僕は作品を描いている途中で気づいたのです。


中路 『ペリリュー』には、可愛らしい絵で悲惨な状況を描くという斬新さもありますが、いろいろな兵士が出てくるところがいいですよね。それはつまり、武田さんが、きちんとそれぞれの人を描いている、ということだと思います。

 歴史を見る目という意味で、僕には衝撃を受けた経験があります。

 高校の修学旅行で広島に行き、被爆者のお年寄りが生活している老人ホームで、原爆の体験を聴いたときのことです。そこにいたおばあさんたちは、異口同音に「私たちは東條(英機)さんが憎い」と話していました。なぜかというと、日本は国力がないから、日清の役のときも日露の役のときも外交交渉をやりつつ戦って、機を見て勝ったという形にして終わった。ところが、東條さんにはそれがなかった、というのです。

 そして僕らに、「あなた方若い人が次に戦争をするときには、年をとって役に立たないかもしれないけれど、銃後のことでできることは何でもやる。その代わり、外交交渉を伴って戦うことの大切さだけは忘れないでください」と言ったのです。

 爆心地の近くで家族や友達が大勢死んでしまい、本人も大やけどをして、一時は髪も全部抜けてひどい目にあった人たちなのに、「次に戦争をやるときには、こうしてほしい」と言うのには驚きました。

 そのときに思ったのは、「被爆者はこういうふうに考えるものだ」と決めつけてはいけないということです。その人のキャラクターもあるでしょう。たとえ爆心地の近くにいたとしても、被害の見え方は違うだろうし、戦後をどう生きてきたかによっても違ってくると思いますが、それぞれの見方、考え方があるはずなのです。

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