『天路の旅人』沢木耕太郎著 評者:後藤正治【新刊この一冊】
評者:後藤正治
沢木耕太郎のノンフィクションは作品の成立過程に興味を引き寄せられるものが多いが、本書はとりわけそうだ。主人公、西川一三(かずみ)(1918~2008)への取材を重ねたのは四半世紀も前のこと。歳月を経て、いくつかの契機をえて執筆をはじめたという。
戦時中、西川は内蒙古にあった大使館の臨時的な調査員となり、ラマ教の巡礼僧に扮し、中国支配下の西北部へ、ゴビ砂漠へ、青海省へ、チベットへ、インドへ......潜入する。敗戦を耳にしてなお潜入は続く。
ラマ僧たちとラクダを曳いての旅路があり、徒歩での単独行があり、寺院での修行があり、下男や水汲みの日々があり、托鉢(たくはつ)があり......と、波瀾に富んだ月日は8年に及ぶ。
帰国後、西川は稀有の冒険行を『秘境西域八年の潜行』として著した(中公文庫全3巻など)。ただ、元原稿の欠落や編集者による修正・カットによりつながりが悪いところもあって、沢木は西川へのインタビューを重ね、元原稿も入手する。時を経て、西川と沢木の〝合作〟として再構築されたのが本書である。
旅の日々を重ねる中、西川は次第に、心身ともに「蒙古人のラマ僧、ロブサン・サンボー」と化していく。衣・食・住......遊牧民の生活にまつわる詳細な記述は興味深い。
西川の公の任務は、中国奥地の事情を日本に伝えることであったが、次第に、そんな意識は薄れていく。帰国指示を無視し、青海省を越え、さらに西方、ラマ教の聖地・チベットのラサへと行きたいと思う。ラマ教の経典はチベット語で記されている。
《しかし、それ以上に、西川は、無意識のうちに、密偵としての任務とは別に、自分の知らないところに行きたい、そして見てみたいという情熱に強くとらわれるようになっていた》
チベットへの入国は、出発から2年以上がたっていた。聖地で日本の敗戦を知るが、なお旅への誘いは止まない。チベットとインドを分かつヒマラヤの峠越えは7度、沢木の試算では9度に及んだとある。
インドでは無賃乗車で移動し、最下層の人々の中でも暮らした。もうどこへ行っても生きていける──。〝密偵〟は、国境や国籍を超え、自由の民になりつつあったのだ。そんなころ、身元が知れ、カルカッタの刑務所に収監され、日本へ送還される。
帰国後、西川は岩手・盛岡の地で美容室や理容室向け商品の卸店の店主となり、寡黙な市井人として暮らした。居酒屋での2合の徳利を相棒に、元日を除く「年364日」働いた。
潜行記を書き、問われれば答えもしたが、自著に固執するわけではない。テレビ局から再訪の旅を誘われることもあったが、「一度行ったことがあるところにまた行っても仕方がありません」と断っている。西川にとってもう、旅は完結してしまっていた。
そのことに沢木は自身を重ねている。若き日のユーラシア大陸への旅は『深夜特急』として結実した。そのことで旅が「体内から抜け出て」しまった感触を体験していたからだ。
西川も沢木も、26歳で長い旅に出た。青春期、未知への誘いに感応する人──が優れた旅人となるのだろう。本書は、旅の名手が、往年のもう一人の名手に届けた鎮魂の書でもあるのだろう。
(『中央公論』2023年2月号より)
◆沢木耕太郎〔さわきこうたろう〕
1947年東京都生まれ。
ノンフィクション作家。『テロルの決算』『一瞬の夏』『深夜特急』『旅のつばくろ』など著書多数。
【評者】
後藤正治〔ごとうまさはる〕
1946年京都市生まれ。『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞、『清冽』で桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『天人』『拗ね者たらん』など。