武田徹 立花隆が一生をかけて語ろうとしたこと。ジャーナリズムと宗教のあわいで

『評伝 立花隆』
武田徹

ウィトゲンシュタインの影響

 極め付きはウィトゲンシュタインとの出会いだ。決定的な影響を受けたと立花が公言している哲学者ウィトゲンシュタインは、大学時代の私にとっても大きな存在だったし、立花がウィトゲンシュタインを理解するために学んだとしばしば語っている数学基礎論、記号論理学を自分もサブメジャー(副専攻)のつもりで授業を履修し、学んだ。立花と近かったのは物書き業を始めてからの仕事の領域だけでなく、実は生い立ちや興味関心も実によく似ていたのだ。

 ただ、悔しいことに筆者の方が常にスケールが小さい。小さい頃から読書好きは共通しているが、比較的早くから古典文学への志向を失っていた筆者は、立花のように世界の文学全集をむさぼり読んではいない。キリスト教とつかず離れずと言っても、熱心なクリスチャンだった両親と一生かけて対決するように生きた立花と違って、筆者が生まれ育ったのは、葬式になって自分の宗派を思い出すような日本に典型的な仏教系の家で、宗教的な葛藤を経験したことはほぼない。

 ただ、洗礼こそ受けていないが、ミッション系の中学高校で学んで、牧師にオルガンを習ったという腕前を披露して賛美歌をピアノで弾いてみせてくれるような父親の影響で、近所の子供より多少多めにキリスト教の文化や風俗に触れて育った。そのせいか、キリスト教系の大学に進むことにも躊躇がなかったし、キリスト教を始めとする西洋の宗教や思想についても大学で本格的に学びたいとも思っていた。

 そのために英、仏、独語だけでなくラテン語、ヘブライ語にも手を出したが、「ギリシャ語でプラトンを読み、ラテン語でトマス・アクイナスを読」んだと豪語する立花と違って、古典語は殆ど身につかずに終わってしまった。母校に職を得て研究を続けるにはクリスチャンになることが条件だったので、大学院進学後、洗礼を受けるかどうか悩んだ時期もあったが、今にして思えば研究者としての資質もおぼつかないのに未来を妄想して勝手に悩んでいたのであり、青春期の熱病のようなものだった。

 こうして立花の知的遍歴を見た上で、我が人生を振り返ってみると、立花を避けて、あえて違う道を行こうとしていたと冒頭で書いたが、とんでもない、実は同じ道を後から追いかけている。筆者はまるで立花の縮小劣化コピーのようだった。

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