〈祝『チャンバラ』中央公論文芸賞受賞!〉齋藤 孝×佐藤賢一 宮本武蔵の"荒ぶる魂"を取り戻せ
養父・無二がいてこその武蔵
齋藤 『チャンバラ』では、養父の新免無二が武蔵にとってきわめて大きな存在として描かれていますね。まるで『巨人の星』の星飛雄馬に対する星一徹のように、あるいは『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカーに対するダース・ベイダーのように(笑)。しかも、両者の微妙な関係性は物語の最後まで続きます。ネタバレになるので多くは語れませんが、その点がすごく斬新でした。
佐藤 無二の存在はもちろん今までも認識されていましたが、意外にも、あまり取り上げられていませんでした。しかし、武蔵が若いころに書いた『兵道鏡』の中身は、無二が残した兵法書(『当理流目録』)とそっくり。つまり、初期の技はほとんど無二から受け継いでいたわけです。
そのことが、晩年に『五輪書』を書く原動力にもなっていたのではないでしょうか。人に教えるという使命感とともに、無二のマネではないオリジナルの兵法を確立したいという思いもあったのかなと。
齋藤 父と子の強い関係が生涯にわたって続くことは、現代でもありますよね。以前、私は室伏広治さん(現スポーツ庁長官)が現役のハンマー投げの選手だったころに対談させていただく機会がありました。あれだけ立派な体格と抜群の運動神経の持ち主なので、仮に野球の道に進んでいても、超一流の選手になれたはずだと言われていたそうです。
しかし室伏さんはハンマー投げを選んだ。それはやはり、お父さんの室伏重信さんが「アジアの鉄人」と呼ばれるほどの第一人者だったからだと思います。室伏さんによれば、別にお父さんから同じ道に進むよう強制されることはなかったそうです。しかし、気がつけばハンマーを投げていたと(笑)。この日本で、小さいころからハンマーに親しむ環境にいる人がどれだけいるでしょうか。「父子鷹(おやこだか)」という言い方もありますが、偉大な父親から子どもが受ける影響はけっこう大きいですよね。
佐藤 そう思います。唐突に武蔵が現れたような物語が多いですが、そうではないだろうと。無二という養父がいてこそ、武蔵のような人物が育った。現れるべくして現れたわけです。
武蔵にかぎらず、歴史上の英雄は父や祖父が偉かったという事例が多くあります。むしろ、一代で名をなすケースのほうがレアでしょう。先代までに蓄えてきたものが、ある代で一気に爆発して英雄になり、歴史に名を残すという感じです。
齋藤 世阿弥もそうですよね。『風姿花伝』の中で、すべては父親の観阿弥が言ったことである、と書いています。要するに父親が猿楽能の価値を高め、息子がそれを整理して記録し、「秘伝」として後世に伝えたわけです。
そこで気になるのですが、こういう親子による伝承が行われる場合、血縁はあまり関係ないですかね。
佐藤 なかなか微妙だと思いますが、たしかに血の要素はそれほど大切ではない気がします。むしろ環境とか、経験とか、そういう要素のほうが大きいかなと。
だから武蔵も、もし実の親のもとにいたら、ふつうの農夫で終わっていたかもしれません。養子に出た先が兵法家だったので、あれだけ大成したのだと思います。
あるいは織田信長にしても──信長の場合は、実の親でしたが──父・信秀から受け継いだのは顔立ちや性格というより、商業的な感覚だったと思います。多くの戦国大名が農業的な感覚で戦ったのに対し、信秀は経済力を高めることで勢力を拡大した。お金があれば戦争に勝てるということを示した。信長はそこから学び、例えば楽市楽座や兵農分離のシステムを導入して、日本の戦争や統治のあり方を大きく変えていったわけですよね。
世界史で見れば、例えばアレクサンドロス大王の東方遠征もそうです。そもそも小国だったマケドニアを強国に育て上げ、ギリシャを支配下に置いて東方遠征の準備を進めたのは父親のフィリッポス2世でした。では彼はどこで学んだかといえば、10代のころにギリシャの都市国家テーベで人質になり、英雄エパミノンダスのもとで軍隊の斬新な戦術を目の当たりにしたことが大きいわけです。やはり血の関わりより、どういう環境で何を学んだか、それをどう伝えたかのほうが大切かなという気はしますね。
齋藤 親子というと私たちは実の親子をイメージしがちですが、江戸時代や明治時代まで遡ると、養子縁組による親子がけっこうメジャーだったんですよね。家というものを重視して、その存続を至上命題と考えた場合、実の子かどうかより才能があるかどうかを優先することは、戦略として十分にあり得たと思います。
あるいは一子相伝の道場や伝統工芸、伝統芸能などにしても、継がせる相手はかならずしも実の子とはかぎりません。多くいる弟子の中から、もっとも優れた一人を選んで託すケースはよくあります。
佐藤 培った技術やノウハウを確実に後世に残すための、日本人のすごい知恵だなと思いますね。
(続きは『中央公論』2023年9月号で)
構成:島田栄昭
齋藤孝 著
「言いたいことを上手く伝えられない」「相手に誤解されてしまう」といった悩みを抱えるあなたも、日本語の構造や特徴さえ押さえれば、話の筋はクリアに、「頭がよく」見えるようになる! 「文章を短く区切って、大事なことから」「事実と非事実を分ける」「『論理的相槌』を打つ」等々の齋藤式メソッドを身につければ、真意が十分に伝わり、人間関係や仕事がスムーズになる。『言いたいことが一度で伝わる論理的日本語』を増補した決定版。
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。『身体感覚を取り戻す』(新潮学芸賞)、『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞)シリーズ、『新しい学力』『60代からの幸福をつかむ極意』『格上の日本語力』など著書多数。
◆佐藤賢一〔さとうけんいち〕
1968年山形県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学後、作家業に専念。99年『王妃の離婚』で直木賞、2020年『ナポレオン』で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『カエサルを撃て』『剣闘士スパルタクス』『ハンニバル戦争』のローマ三部作、モハメド・アリの生涯を描いた『ファイト』、最新刊『チャンバラ』などがある。