近藤和都 『君たちはどう生きるか』の宣伝戦略が浮き彫りにしたもの

近藤和都(大妻女子大学准教授)

「何も知らないで見る」という経験

 オフ・スクリーンのメディアは、スクリーン上の映像があって初めて存在できるという意味で「二次的なもの」である。しかし先述の通り、広い意味でのネタバレ的な情報も含まれるこの二次的なものが映像経験に少なからぬ影響を与えている。両者の抜き差しならぬ関係性を踏まえて、メディア研究者のジョナサン・グレイは、メディア研究には「オフ・スクリーン研究」が不可欠だと主張する(Show Sold Separately: Promos, Spoilers, and Other Media Paratexts, 2010, New York University Press)。映像経験は二次的なものの分析を通じて論じられる必要があるというわけだ。

 この観点からすると、『君たちはどう生きるか』はオフ・スクリーンのメディアを公式にはほとんど組織しなかった点で興味深い。たしかに、前年に公開された『THE FIRST SLAM DUNK』も、作品内容を推測させる宣伝・広告をほとんど用いなかった点では類似した事例だといえるかもしれない。だが同作品はあくまでも人気バスケ漫画を原作とし、登場人物や舞台設定、世界観などの物語のバリエーションを規定する条件については広く知られていた。つまり宣伝がなくとも私たちは、当然この映画には主人公の桜木花道が出てくるし、バスケの試合が主要なシーンを構成するだろうと確信できた。他方で、『君たちはどう生きるか』ではこうした類いの期待は生まれない。

 とはいえ、「何も知らないで見る」のが例外的に感じられること自体が興味深い。よくよく考えてみると、たとえば漫画の新連載なら、私たちはその内容について事前に何も知らずとも問題なく読めるように思えるのに、なぜ映画の場合はこうした状況を特別だと感じてしまうのだろうか。私たちのこの感性の背景にある、映画をめぐる宣伝の歴史について簡単に振り返り、その上で『君たちはどう生きるか』の宣伝なしという戦略がもたらした帰結を論じることで、オフ・スクリーンのメディア環境の現代的様相の一端を論じよう。

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