近藤和都 『君たちはどう生きるか』の宣伝戦略が浮き彫りにしたもの

近藤和都(大妻女子大学准教授)

オフ・スクリーンのメディア史序説

 映画をめぐる宣伝の歴史は古い。数多のテクノロジーと多数の職能を動員して作られる映画は、投下資本を回収するには多くの観客に見られる必要があり、作品を周知する実践が欠かせないからである。とりわけ日本では、1930年頃に映画の業界誌が2誌創刊し、宣伝方法に関する議論が活発化して様々な手法が展開した。

 たとえばそれまでは映画のタイトルを独特なフォントで表現しただけのポスターや新聞広告が主流だったが、この頃から、今では当たり前となっているビジュアル・イメージに基づくポスターや雑誌広告が普及した。新たな形式のポスターは商店街のウインドウや、鉄道車両がカーブで減速する場所などに配置され、人びとの注意を何とか得ようとした。背景には、スポーツ観戦やラジオ放送、カフェなどのこの頃に花開いた都市的な娯楽と差別化する必要性や、急速に数を増やした映画館同士の競争激化があった。

 こうしたビジュアル・イメージに基づくオフ・スクリーンのメディア環境の経験について、永井荷風が37年に発表した小説『濹東(ぼくとう)綺譚』(91年改版、岩波文庫)に興味深い一節がある。

 同作の主人公は「殆(ほとん)ど活動写真〔引用者注・映画のこと〕を見に行ったことがない」ものの、世の人びとが映画を頻繁に話題にするため看板の画に目を向けるようにしている。というのも、「看板を一瞥(いちべつ)すれば〔活動〕写真を見ずとも脚色の梗概も想像がつくし、どういう場面が喜ばれているかという事も会得(えとく)せられる」からだ。ビジュアル化したポスターや雑誌広告もまた、同様の経験を与えていただろう。

 映画はその歴史の早い段階で、宣伝を通じて内容を推測してから見るものになり、さらにこの状況は見ていない映画について堂々と語ることすらも可能にしていたのである。

 宣伝がある種のネタバレとして機能しているわけだが、この観点からすると、予告編の歴史的展開が興味深い。一体いつ頃から日本で予告編が上映されていたのかなど、その詳しい歴史を論じる準備はないのだが、ある時期までの予告編はかなり詳細なダイジェストとして構成されており、その後、見どころの場面に特化して編集されていく。

 戦後、予告編の作成に携わった佐々木徹雄の自叙伝『三分間の詐欺師──予告篇人生』(2000年、パンドラ)によれば、かつて予告編は作品の「流れ」を読み解けるように構成する傾向にあったという。たしかに、1950~60年代の映画のDVDに特典として収録されている予告編を見てみると、作品の物語構造がかなりの程度トレースできるものが少なくなく、オチが明かされているものもある。その後、70年代に大規模宣伝の手法を導入した角川春樹と角川映画によって15秒や30秒を単位とするテレビスポットも多用されるようになり、作品中の場面を用いた映像広告は、短時間で注意を引くため、見どころに特化した編集を重視するようになる。そこでは物語の全体像までは明かされないものの、作品を象徴するような場面が多用される。

 こうしたイメージに基づく宣伝に囲まれることで、映画を見ることには、どこかで見た映像に「既視感」を得て、ここが「あの場面」なのかと確認する経験が組み込まれるようになる。あるいは、宣伝・広告は多くの人が知っている「有名な場面」を生み出し、見ていなくても作品について語ることを可能にする。

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