近藤和都 『君たちはどう生きるか』の宣伝戦略が浮き彫りにしたもの

近藤和都(大妻女子大学准教授)
写真提供:photo AC
 今年7月に公開された宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』は、事前の宣伝がなかったことも話題を呼んだ。『映画館と観客のメディア論』(青弓社)の著書がある近藤和都・大妻女子大学准教授が、スクリーンの外で見られたファンの実践を読み解き、現代のメディア環境の一端を明らかにする。
(『中央公論』2023年11月号より抜粋)

 2023年7月14日、宮﨑駿監督の新作『君たちはどう生きるか』が公開された。この作品ではプロデューサーの鈴木敏夫が宣伝を一切しないことを宣言し、ポスターは作られたものの、「鳥の毛皮をかぶった人間らしき存在」のみが描かれたそれから物語内容を推測するのは困難だった。しかも、キャストやスタッフの情報、監督の「意図」を確認するメディアとして、通常は公開と同時に発売され、観賞前に読まれることもあるパンフレットも、上映からしばらく経つまで販売されなかった。

 したがって、公開後すぐに映画館に足を運んだ観客は、よほど自覚的にSNSなどを駆使して情報を集めない限り、事前に作品について何も知らない状態で映画を見ることになった。観客は舞台設定、登場人物の関係性、ジャンルなどについての情報を一から構築しなければならなかった。いわば作品そのものに向き合うことを求められたのである。

 一見すると誠実だと思われるこうした観賞経験は、実は特異なものだといえる。映画館で映画を見る際、私たちは様々な行為を定型的な仕方で組み立てているが――上映スケジュールを調べたり、チケットを購入したり、上映開始までにトイレで用を足したり等々――、その中には映画の内容を推測することも含まれるからだ。

 そもそも何か映画を見ようと思うとき、私たちは作品をめぐる膨大な宣伝に触れないではいられない。それらはテレビスポットであったり、公式に運営されているSNSの投稿であったりと様々だが、往々にして作品のジャンルやストーリー、キャストに関する情報を含み、観客予備軍に対してあらかじめ内容への期待を作り上げる機能を持つ。

 つまり私たちは、映画を見る前にすでに、作品に対して多種多様な知識を持つのが当たり前である。そしてそれらに基づいて見るかどうかを決めるし、実際に上映が始まると、目の前の映像に事前に得た知識やイメージを投影しながら作品をすかし絵のように見る。そうしてたとえば、あまりにも出来が良い予告編に基づいて見ることを決めた場合には、私たちは「期待外れ」という経験をする。あるいは、見どころが編集された予告編を見た場合、その場面が来るのを待ちわびる。

 映像文化(screen culture)とは、オフ・スクリーン(off-screen/画面から離れた)領域で流通する様々なメディアとの関係なくしては成り立ち得ないのである。

1  2  3  4