住本麻子×ひらりさ×藤谷千明 令和に読む雨宮まみ――「こじらせ女子」から遠く離れて

住本麻子(ライター)×ひらりさ(文筆家)×藤谷千明(ライター)

女子と自虐

藤谷 2010年代前半は「ネット出身」の「サブカル女子」エッセイストが出てきた時期と認識しています。11年には犬山紙子『負け美女』(マガジンハウス)が刊行され、峰なゆか『アラサーちゃん』(扶桑社)も連載が始まっています。雨宮もその流れの中にあった。


住本 00年代には日本のフェミニズムへのバックラッシュ(反動)があり、直接的なフェミニズムの本は出版されにくかったと聞いています。フェミニズムの蓄積が若い世代に継承されづらかった10年代、女性向けエッセイや漫画が女性たちを励ました面があったのではないでしょうか。


ひらりさ バックラッシュの時期は、大学でも「フェミニズム」という言葉が使われていなかったと聞いたことがあります。私はそのバックラッシュの直後に大学に入学し「ジェンダー論」の授業をとったのですが、「フェミニズム」という言葉が印象に残っていません。社会人になっても、#MeToo運動が盛り上がるまでは、縁がありませんでした。


住本 雨宮の本は、「フェミニズム」としては捉えていなかった?


ひらりさ 当時はそうは思っていませんでした。改めて『女子をこじらせて』を読むと、フェミニズムの議論でもあるなと感じますが。


藤谷 「サブカル女子」の自分語り=自虐が作法だった時代があったように思います。『女子をこじらせて』でも学生時代を振り返る時は、「イタい奴ですみません」という語り口ですよね。自衛としての自虐があったのでは。


ひらりさ 印象に残っている10年代の自虐コンテンツに、『オタク女子の擬態化計画』(ふゅーじょんぷろだくと)があります。主にBLの漫画家によるコミックエッセイ・アンソロジーなのですが、前書きに「2009年に女子力って言葉を流行らせた人、校舎裏に来てください」と書いてあったんですよ。先に流行っていた「女子力」へのアンチテーゼの文脈はありそうですよね。どうやら安野モヨコが『VoCE』の連載「美人画報」の中で使いだしたらしい。


藤谷 赤瀬川原平の「老人力」のパロディとしての「女子力」ですよね。生まれつきの美人じゃなくても、後天的に身につけられる力として「女子力」という言葉は使われていた。


ひらりさ その言葉が当時人気モデルのエビちゃん(蛯原友里)のようなコンサバ系の女子をあらわす言葉として定着していく。


藤谷 「女子力」や「モテ」の流行と前後して「小悪魔」ブームもあったんですよね。男性を虜にするノウハウを「小悪魔」と呼んでいました。ホステス出身の蝶々の『小悪魔な女になる方法』(大和出版)が50万部のベストセラーになった時代です。


ひらりさ ちなみに「婚活」という言葉も08年頃から使われだしてます。


住本 「モテ」や結婚が、努力すれば手に入るものだと捉えられていた。能力主義のような見方ですよね。


ひらりさ 自己責任化がすごく進んだとも言えますね。一方で住本さんが指摘したように、その時代にフェミニズムはバックラッシュで鳴りを潜めていた。ただ、「モテ」や「女子力」にハマれない人たちもたくさんいて、そこから腐女子エッセイや自虐エッセイ、「こじらせ女子」へとつながっていくのだと思います。


藤谷 それらはある種の自虐の形をとっていましたが、「こういう女子もいる」というオルタナティブを提示していたように思いますね。

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