住本麻子×ひらりさ×藤谷千明 令和に読む雨宮まみ――「こじらせ女子」から遠く離れて
読者としての出会い
住本 雨宮(あまみや)まみは、1976年福岡県生まれで、当初はAVライターとして活動していました。2011年に初の著書である自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)が反響を呼び、「こじらせ女子」はユーキャン新語・流行語大賞にノミネート。その後も女子の自意識をめぐる文章を発表し続け、16年11月、40歳で亡くなりました。
私が彼女を知ったのは12年頃で、当時大学生。同郷だったこともあり、『東京を生きる』(大和書房)で書いていたような家父長制に対する反発と東京への執着に共感しましたし、何より文章が好きでした。雨宮まみをどう読んできたか、そして雨宮まみを今どう読むのか。他の人とも一緒に考えたいと思った時に、「雨宮まみと『女子』をめぐって」(本誌2022年8月号)という論考を発表した際、感想をくださったお二人のお名前が浮かびました。まず、雨宮の文章とはどのように出会ったのでしょうか?
ひらりさ 彼女の存在に対する受け止め方は、世代によっても違いそうですよね。私は89年生まれです。
住本 私も一緒で89年です。
藤谷 私は81年です。だから雨宮に対しては「ひと世代上のブロガーのお姉さん」という感覚があります。私が彼女を知ったのは、06年頃です。ブログ「雨宮まみの『弟よ!』」で書いていたものを読んだのがきっかけです。
書いていることは、当時から一貫していました。自分が「主人公」の舞台に立つ資格がないと思い込んでいる女の子の自意識の話、つまり「こじらせ女子」です。それを読み、当時mixiの日記に「私の思っていることが言語化されている!」と興奮気味に書いた覚えがあります。
その頃の雨宮はAVライターとしての活動が主でした。当時の私はアダルト広告を扱う代理店でアルバイトをしていて、会社に積んであるアダルト系雑誌を見て「ここに雨宮さんが書いているんだ」と思いをはせていましたね。そうそう、一度、彼女が共著を出した時、ゲリラ的に開催したサイン会がたまたま職場の近くで、休み時間に走って行きました。対面したのは、それが最初で最後です。
ひらりさ 私は新卒でウェブメディアに就職し、そこで編集者になってから存在を知りました。そのウェブメディアの立ち上げパーティの際に、寄稿者の一人として来てくださいました。黄色いドレスを着ていて、タクシーで颯爽と帰られるのを見送った記憶があります。
2010年代前半の当時は女子コミックエッセイの全盛期で、腐女子による自虐エッセイが多く出ていました。私自身、BL(ボーイズラブ)が好きだったので、そうした本を楽しく読んでいて、その延長で『女子をこじらせて』も手に取りました。ただ、今回の鼎談のために読み返そうと思ってびっくりしたんですが、たぶん第1章までしか読んでいなかったんですよ。
彼女と同様に私自身も女性性について悩んでいたこともあって、彼女を知って以降、著作などはその後も読んできました。特に、読者の愚痴を聞くウェブ連載「穴の底でお待ちしています」(のちに『まじめに生きるって損ですか?』〔ポット出版〕として書籍化)は更新が楽しみでした。でも、『女子をこじらせて』は怖かったんですよね。自分の身を削るようにしながら書いていて、鬼気迫るものを第1章から感じたために、途中で読むのをやめてしまったんだと思います。ただ、今挙げた連載や、『愛と欲望の雑談』(ミシマ社、岸政彦との共著)まで来ると、私のほうも向き合えるようになってきて。大和書房のウェブ連載「40歳がくる!」(23年に同社より書籍化)を毎回楽しみにする中で訃報を聞きました。