玉野和志 大衆民主化の流れの中で生まれた「町内会」【著者に聞く】
――町内会を研究対象とした経緯を教えてください。
始まりは、駆け出しの社会学徒だった1980年代にさかのぼります。当時、地域社会学の領域では町内会に関する議論が盛んでした。
個人的な話になりますが、私は石川県金沢市の出身で、祖父が戦時中に町内会長を務めていました。その遺品の中に、昭和初期に金沢で「町の会」を結成した際の規約などがあったのです。私の最初の仕事である、町内会の起源に関する研究をまとめるに際しては、この資料が大きなヒントとなりました。
実は70年代まで、町内会は封建遺制であると言われていて、進歩的な知識人からの評判が悪かった。しかし私は自分の生い立ちもあるので、そうした町内会批判には違和感を抱いていました。それが80年代以降、町内会を評価する研究が相次いだことで、進歩派も含めたアカデミズム内での町内会の評判が180度変化したのです。
ただ、そうした急転には自分なりの疑問もありました。町内会について、私はもちろんそれなりに評価はしているのですが、あまり期待するのもよくない、というのが現在の立場ですね。
――町内会の特質として、「加入単位が個人ではなく世帯」「一定地区居住者の全戸加入が原則」「機能的に未分化」「一つの地域に一つのみ」の四つを挙げています。
何を町内会の特質とするかは諸説ありますが、私は「全戸加入原則」が最大の特徴だと思っています。
近代社会の集団として一般的なボランタリー・アソシエーション(自発的結社)の場合、特定の限定された目的のために、個人の関心に基づいて集まるものなので、結成も解散も頻繁です。しかし、町内会はそうではない。民間団体なのに、地域全体のためという公的な目的を掲げて、清掃でも防犯でも親睦事業でも、何でもやる組織として成立しています。普通の人々は自分の生活が大事ですから、公的なことにはあまり関心を向けません。それが全戸加入の原則によって、自分の好きなことではなく、みんなのために良いことをやるという性質が導かれるわけです。他に類を見ない組織だと思います。
町内会は日本の近代史の中で、さまざまな事情から偶然にできあがったものです。行政側からみると非常に都合のいい組織なので、いろいろな形で維持しようと働きかけているのですが、周知の通り都市部では加入率の低下や担い手の高齢化などで、存続が困難になってきているのが現状ですね。
――町内会は封建遺制などではなく、近代的な存在であるとしています。
町内会は近代にできたものだということは、80年代以降に多くの研究者が指摘するようになりました。かつては全戸加入という点が、前近代的で非民主的だと捉えられていたのですが、調べてみるとそうではなかった。むしろ古い時代の都市部では、土地所有者で構成する地主会が一般的でした。地域住民が身分的に分かれており、借家人は町を治める組織に入る権利がなかった。それが都市化が進んで人の出入りが激しくなった大正から昭和にかけての時期に、地域の居住者なら全戸が加入できる町内会が出現したのです。そして昭和戦前期、行政が主導して各地で町内会が整備されていきました。
町内会の主要な担い手となった都市の自営業者層の多くは、もともと農村から労働者として都市に流入した人々でした。地主や俸給生活者と対等に遇されることを願った彼らは、町内会活動に打ち込むことで、戦時体制に積極的に協力していく。私は、ヨーロッパでは労働組合が果たした大衆の社会的上昇の要求に応える機能を、日本では町内会が担ったと考えています。
――今後の町内会のあるべき形は。
これまでの広範な活動をすべて維持するのは、もう都市部では困難でしょう。無理な活動はどんどん手放すべきです。ただ、町内会は歴史的に形成された住民自治の貴重な資産でもあります。行政と住民が話し合い、時には政治家も呼ぶことができるという、協議の場として残せればと思います。
(『中央公論』2024年10月号より)