「任俠」シリーズ100万部突破――描くのは、理想、ファンタジー、そして郷愁

今野 敏(作家)

中間管理職の悲哀

――「任俠」シリーズの1作目『とせい』は2004年に出版され、後に『任俠書房』と改題されています。最初からシリーズ化する予定だったのでしょうか。また、任俠をテーマにしたのはなぜですか。


 他のシリーズもたいていそうですが、1作目は単発のつもりで書きました。バブル時代、六本木のクラブで飲んでいると、〝反社〟の人がけっこう来ていた。ああいう人たちは大嫌いだけど、存在を無視はできないな、と。だったら、嫌いだ嫌いだと言っていないで、そちらの側に立ってみたらどうだろう。小説家としていつも考えていることなんですけど、そんな違う立場の人たちへの興味が出発点でした。

 警察官を描く時もそうですが、警察官の中にもダメな人間はいるわけです。でも小説の中では、理想の警察官像を描きたい。

「任侠」シリーズも、もし書くなら、任侠という枠の中で、理想的なフィクションの人間を描いてみよう、と考えました。当時、赤坂に事務所を借りていたんですが、同じ建物内に暴力団関係の事務所がいくつも入っていた。エレベーターに乗ると、3回に1回はその手の人たちと一緒になっちゃうんです。その中にお坊さんみたいな恰好をして、子分も一人しか連れず、いつもニコニコと丁寧に挨拶してくれる人がいました。その印象が強くて、「こういう人をデフォルメしたら書ける」と思い、親分のキャラクターを創りました。

 加えて、中間管理職の悲哀を描きたかったので、組のナンバー2である代貸が苦労する話にしようと思いました。私が書く刑事ものシリーズの主人公も、警部補か警部、つまり中間管理職です。サラリーマンの皆さんも、今、大変でしょう。コンプライアンスも厳しいし、昔以上に、いろいろなことに気を遣わなくてはいけない。中間管理職となれば、その苦労たるや大変なものだろうと思います。ですから日村の苦労にシンパシーを感じてくれるのかもしれません。

 私自身、いわゆる中間管理職の経験はないけれど、代貸の苦労はよくわかります。大学時代から空手を続け、昔、空手の師匠にずーっとくっついて歩いていましたから。師匠をたてなくてはいけないし、文句を言う下の人間もうまくなだめなくてはいけない。私の師匠は天才肌でしたので、なかなか大変でした。


――小さな組事務所が出版社を立て直す話から始まり、シリーズでは学校、病院、銭湯、映画館など、問題が山積しているところを阿岐本組長と日村がテコ入れをしていきます。なぜ阿岐本組長は、儲けにならないことをするのでしょう。


 しのぎとは無縁の世界に手を出して立て直しをするのは、まぁ、親分の趣味ですよね(笑)。道楽といってもいい。こういうことをやっていると、とにかく楽しいんでしょうね。結果的に人の役に立てていることも、気持ちいいんだと思います。あと、頼られることが、やっぱり嬉しいのではないでしょうか。

 このシリーズが始まって20年を超えましたが、暴対法などの関係で裏稼業の人はどんどん居場所がなくなり、地下に潜っている。でも作品内では、町の人たちが親分に一目置いている。描いているのは、いわばファンタジーとしての任侠の世界で、今や現実社会でそういうことはなかなか成立しません。高倉健さん主演の映画「昭和残侠伝」や「日本侠客伝」を観ると、やくざが町の人に溶け込んでいますよね。あの映画の舞台となった時代は、闇市に物資を仕入れたり鳶頭(とびがしら)としてちゃんと仕事をし、法被(はっぴ)を着てどこの組か分かるように町の人に示して、町の人も受け入れていた。そういう時代へのノスタルジーも、作品内に込められています。

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