三木武夫と石破茂は何が違ったのか 50年前にもあった「総理総裁おろし」
竹内 桂(常磐大学准教授)

7月の参院選での与党大敗後、党内で強まった退陣圧力「石破おろし」に耐え切れず、9月7日に辞任意向を表明した石破茂首相。約50年前、苛烈な「三木おろし」を凌ぎ切った三木武夫元首相とは何が違ったのか。気鋭の日本政治史研究者が検証する――。
(『中央公論』2025年11月号より抜粋)
(『中央公論』2025年11月号より抜粋)
- 石破茂首相の辞意表明
- 三木武夫の経歴
- 「保守傍流」という位置づけ
- 穏健な保守政治家で現実主義者
石破茂首相の辞意表明
2025年7月20日の参議院選挙で、与党の自由民主党と公明党は計47議席の獲得に留まり、参議院で過半数を割った。すでに前年10月の衆議院選挙の結果、石破茂内閣は少数与党となっており、衆参両院で与党が過半数を割る状況となった。
参院選前、石破首相は与党の過半数議席の維持を「必達目標」としていた。だが、その目標に達しなかったにもかかわらず、石破は引き続き政権を担う意向を示した。
これに対し、「石破おろし」の動きが自民党内で出始める。石破の責任を問う自民党議員は、両院議員総会の開催を求める署名活動を開始し、開催に必要な署名数を集めた。両院議員総会の開催を求めたのは、自民党の党則第6条4項に基づいて総裁の任期満了前に総裁公選を実施できることを確認するためである。
8月8日の両院議員総会では、総裁選の実施について総裁選挙管理委員会に確認することとなり、27日に同委員会は、総裁選の前倒しを求める国会議員は署名・捺印した要望書を9月8日に本人が直接党本部に提出する、都道府県支部連合会は意思を決定した後に書面で提出する、ということを決めた。
動向が注目されるなか、総裁選の前倒しを求める署名が半数を超える見通しとなった9月7日、石破は退陣の意向を表明した。「石破おろし」は成功したことになる。
自民党内で総裁をおろそうとする動きは、これまでも繰り返されてきた。その最初の大規模な例が、約50年前の1976年に起きた「三木おろし」である。