「任俠」シリーズ100万部突破――描くのは、理想、ファンタジー、そして郷愁

今野 敏(作家)

社会と自分の変化を反映

――シリーズをご執筆中の20年間、テーマの傾向に変遷はありましたか。


 銭湯を描いたあたりから、私自身が昭和を引きずり始めたんじゃないかと思います。世の中から消えていく、ちょっと時代遅れなものに対する郷愁が、だんだん強くなっていった。たぶん私自身が、歳をとっていったということでしょう。

 第7弾の『任侠梵鐘(ぼんしょう)』は、除夜の鐘がうるさいというクレームのせいで除夜の鐘をやめたお寺があるというニュースを見て、世知辛い世の中だな、と思ったのがきっかけでした。そんなふうに日常的に見聞きして印象に残ったことが、小説の種になっていく。とくにメモをとったりする必要はないんです。いったん忘れてしまっていい。それでもふと思い出すものこそ、心に引っかかっていたということでしょう。

 ただ、このシリーズはテーマを見つけるのがけっこう大変です。刑事ものは、誰かが死んで捜査すればいいだけの話ですが(笑)、「任侠」シリーズはやくざが立て直しをしなくてはいけない。ですから、テーマを見つけたら仕事の2割くらいは終わった気もします。


――20年間の日本社会の変化も、作品に投影されているように感じます。


 社会の変化は、私自身が感じているから、どうしても作品に出てきます。最近は世の中から、おおらかさがなくなってきていますよね。


 また、我慢という文化がなくなったのかな、というふうにも思います。自分が無視されたり、ふられたりしたら、自尊心が傷つけられたと思ってしまう。そしてそのことに我慢できない人が増えている。ネットの影響もあるかもしれません。

「任侠」シリーズでは、理想化されたフィクションの、「古きよき時代のやくざ」が描かれていますが、そうしたやくざの一番の特徴は「我慢」です。高倉健さんの映画を観ると、最後の最後まで、じーっと我慢をしている。あの世界では、紋々(もんもん)(刺青)のことを「ガマン」って言うそうです。彫りを入れるのは痛いし、彫った後にも痛む。ある意味、我慢の象徴なんですね。ときにその我慢は、やせ我慢でもある。

 昔、私の空手の師匠がよく言っていました。「やせ我慢を続けていりゃ、本当の我慢になる」って。まさに、そうだと思います。

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