生誕90年 立川談志を語る
(『中央公論』2026年2月号より抜粋。収録は談志の命日である25年11月21日に行った)
- 「お前は立川流の実験第1号だ」
- 「落語とは、俺である」
- 立川流のこれから
「お前は立川流の実験第1号だ」
志の輔 吉笑が『中央公論』に連載しているコラム(「炎上するまくら」)、読者のみなさんに人気なんだって?
吉笑 ありがたいことに100回を超えまして。
志の輔 えらいなあ。じゃあ、今日は2026年の日本経済の展望について語り合えばいいのかな。
吉笑 そんな。(笑)
26年は談志師匠の生誕90年ということで、談志師匠のことについていろいろと聞かせてください。
志の輔 そう、生誕90年なんだよな。1月2日が誕生日だから、90歳になるのをお祝いしていても全然おかしくなかった。もう亡くなって15年が経つけど、「早いよなあ」って。なんかもう歴史上の人物って感じすらしてくるしね。
吉笑は談志に会ったことあるの?
吉笑 談志師匠がお亡くなりになる1年前、2010年に入門したので、ギリギリご一緒できました。ちょうど談志独演会が談志一門会に変わる頃で、僕の師匠の談笑もよく出ていたので、楽屋のお手伝いをさせていただいたり。最後の高座(2011年3月6日、談志一門会)も舞台袖で観ていました。
志の輔 俺は立川流創立のときからいるのに、師匠の晩年はあまり会えなかったからなあ。吉笑は俺の10年分くらい濃い1年を過ごしたってことか......。
そもそもなんで落語家になろうと思ったの? その前は漫才師を目指していたんだよね。
吉笑 それは志の輔師匠のCDを聴いたからですね。
もともとお笑いのDVDやCDを習慣的にいろいろ買っていたんですが、落語は古いし難しい感じがしてちょっと避けていたんです。そんなとき、たまたま志の輔師匠のCDを聴いたら、「あ、落語って普通にげらげら笑える娯楽なんだ」ってことが分かって、衝撃を受けました。もともと演劇やシチュエーション・コメディが好きだったので、より楽しめたのかもしれません。
決定的だったのは志の輔師匠の『だくだく』を聴いたときでした。表現方法や扱えるテーマを考えると、これはコントではできないなと思ったんです。落語は表現として鋭いものを持っているのではないかと。
その後に談志師匠の音源も掘っていく中で、『だくだく』も演(や)られていて、とにかくそのマクラがすごかった。それで落語によりのめりこんでいきました。落語家になる前に1度だけ、談志師匠の高座を生で見たことがありますが、そのときにはもう落語家になることを決めていましたね。
志の輔 てことは俺のせい? なのに入門したのは談笑って、危機管理がしっかりできているなあ。俺なんか、大変なことになると分かっていたのに、どういうわけか談志の弟子になっちゃったもん。(笑)
忘れもしない、師匠が落語家生活30周年の落語会を国立演芸場でやったとき(1982年。ゲストは五代目柳家小さん)、トリネタの『芝浜』でショックを受けちゃった。
話の切れ味といい、リズムやテンポといい、独特な視点といい、古典なのに「現代(いま)」がある。
もうね、人柄含めて一番自分に合っている、「入門するなら談志しかない」って錯覚しちゃって。(笑)
無事入門はかなったものの、案の定、毎日が驚きの連続。大変なんてもんじゃなかった。
それに比べてあなたの師匠の談笑はやさしいからなあ。
吉笑 僕の場合、立川流に入るということは先に決めて、どの師匠に弟子入りするか悩んだのですが、やっぱり人柄含めて談笑が自分に一番合うのかなと思ったんです。30歳までには勝負したいという思いもあって、談笑のところなら一番弟子だし、前例がない分、頑張ったらなんとかなるかもしれないと思いまして。
志の輔 見事になったよなあ。
立川流の場合、談志の鶴の一声で昇進か否かが決まっていたんだけど、普通は二ツ目になるまで5年ぐらいかかるところ、吉笑は1年半でなったもの。
吉笑 志の輔師匠も早かったですよね。
志の輔 俺の場合は2年で二ツ目になったけど、立川流を立ち上げたばかりのどさくさに紛れてだから。(笑)
吉笑 いえいえそんなことは。
志の輔 しかも入門してすぐ、あるときバスの中で談志がいきなり「俺は出る」と。「えっ、出るってどこの落語会に出るのかな」って思ったら、「落語協会を出る」って(笑)。おかげで落語家になったのに寄席に出られなくなった。
まあいま思えば、寄席に入っていたら続いていたかどうか分からないとも思うけど、それより何より驚いたのは「お前は立川流の実験第1号だ」「俺がお前を一人で育てる」って言われたこと。(笑)
さらには「何でもいいから売れてこい!」と。師匠の言葉だから、こっちは必死でテレビやラジオの仕事をやっていたら、あるとき師匠が高座で「ああいうことをさせるために弟子にしたんじゃないです」って。(笑)
もっとも、嬉しい驚きもあって、高田文夫先生が編集長をしていた『笑芸人』(2003年春号)が師匠との対談を企画してくれて、そのとき師匠が色紙に「志の輔 立川流の傑作」って一応(笑)、書いてくれたんだよ。嬉しかったなあ。
吉笑 すごいサプライズですね。
志の輔 毎年正月に渋谷パルコでやっている公演を客席で最初から最後まで聴いてくれたこともあったしね。
高座の最後に、「みなさんお会いになりましたか。師匠の談志が観に来ていたんですよ。もう帰ったと思いますが」と言ったら、「まだいるよ!」って客席にいた師匠が叫んで(笑)。壇上に上がってくれて、三本締めまでしてくれたのは最高の思い出だね。
その後ぐらいからよく観に来てくれているなと思っていたら、入院することになって。何か予感めいたものがあったのかもしれないなあ。