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プーチンが誇示し、『失敗の本質』が批判したノモンハン事件

1939年の日ソ衝突、その背景を読み解く
花田智之(防衛研究所戦史研究センター主任研究官)

事件の発端

 ノモンハン事件の発端は、1939年5月11日にモンゴル軍騎兵隊による「越境」行為が続く中で、国境警備担当の満洲国軍がこれを撃退したことだとされる。

 当時の関東軍の軍事戦略は、同年4月25日に関東軍司令官の植田謙吉大将により示達された「満ソ国境紛争処理要綱」に色濃く反映されており、ソ連の不法行為に関しては「断乎徹底的ニ膺懲スルコトニ依リテノミ」対処することが明言された。そして、この目的を達成するため、一時的にソ連領へ進入することや、「越境」してきたソ連軍を殲滅するために国境外へ兵を進める意思も明示された。また、国境線が明確でない地域では現地の「防衛司令官」が自主的に国境線を認定して「無用ノ紛糾惹起ヲ防止スル」ものとされ、第23師団長の小松原道太郎中将がこの任務に当たった。

 これに対して、ソ連指導部はノモンハン事件を当初より日満軍によるモンゴル人民共和国への「組織的な国境侵犯」と認識していた。ソ連時代のように、いわゆる「田中上奏文」という偽書の存在を肯定して論じることは今日ほとんど目にすることはなくなった。ただ、その真偽を問う以前の問題として、偽書の有する侵略的意図が日本の軍国主義やその後の太平洋戦争への道を象徴しているとの考え方は存在するようだ。

 また、関東軍参謀部が1938年に作成した八号作戦計画乙案(ソ連領への軍事進攻に関し、北部・東部国境への攻撃という甲案ではなく、西部国境に兵力を結集して攻撃することを計画したもの)に鑑みて、ノモンハン事件が日満軍による計画的な軍事進攻であったと論じられることもある。

 ハルハ河東岸へのモンゴル軍騎兵隊の「越境」に対し、小松原師団長は東八百蔵中佐を指揮官とする捜索隊及び山県武光大佐を指揮官とする支隊を派遣して、ハルハ河東岸に進出してきたソ蒙軍を殲滅するよう命令を下した。これに対してソ蒙軍は新たな攻撃を決行し、ハルハ河東岸で激しい戦闘が繰り広げられた。この戦闘で双方とも大きな犠牲を強いられた(第一次ノモンハン事件)。

 ソ連指導部は極東での緊急事態を受けて、ベロルシア軍管区司令官代理のゲオルギー・ジューコフ中将を極東へ派遣した。ソ連崩壊後に公開された『ジューコフ元帥回想録』によると、彼は着任に際し、ソ蒙相互援助議定書に基づいてモンゴル人民共和国を軍事支援すると明言した。そして「日本政府はモンゴル人民共和国への国境侵犯という真の目的を隠すため、自分たちの侵略行為を国境紛争だとする国際世論を喚起するよう決定した」と自らの分析を交えて指摘した。

 新たに第57特別軍団司令官に着任したジューコフは、ハルハ河東岸への攻撃に備えるべく陣地の強化を命じたほか、戦車部隊及び航空部隊の大幅な増強を果たした。こうしてハルハ河両岸のソ蒙軍の兵力は徐々に増大してゆき、ソ連の航空機が頻繁にハルハ河を越えて行動するようになった。

 

(『中央公論』2021年9月号より抜粋)

花田智之(防衛研究所戦史研究センター主任研究官)
〔はなだともゆき〕
1977年北海道生まれ。北海道大学法学部卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門はロシア政治外交史。共著に『スターリンの極東政策』などがある。

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