倉本一宏×澤田瞳子 紫式部と平安時代

倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)×澤田瞳子(作家)

平安時代と貴族のイメージ

倉本 ところで、澤田さんは歴史小説と歴史学、それぞれの役割をどうお考えですか。平安貴族といえば一般に、恋愛と芸術にばかり熱中して、惰弱で臆病、狡猾な人ばかりというイメージが強い。でもそれは違うんだ、本当は勇猛な人もいたし、懸命に政治を行っていたのだ、と史料から実像を復元して提示するのが歴史学者の仕事なんですね。

 つまり、歴史学者の本は面白くなくてもいいし、面白かったらかえってうさん臭い(笑)。一方、小説は極端に言えば史実ではないことを書いてでも、面白くなければならない、売れなければならないのではないかと思うのですが。

澤田 確かに、小説家は読者に楽しんでもらえるエンターテインメントとしての作品を提示しなければならないのですが、歴史小説に限っていえば荒唐無稽であってはならず、学問に裏付けられた考証が必須だと思います。史実を無視して面白さのほうに振り切ってしまいますと、読者は小説に書いてあったからと信じてしまうかもしれません。その点で、私は歴史小説の一般的な影響力を、少々恐ろしいと思うことがあります。

 平安時代は天変地異が頻発しましたし、刀伊(とい)の入寇もあって、大変な時代だったのです。そんな時代に、固定化されたイメージどおりの「なよなよした貴族」だけで政治が成り立つわけがありません。フィクションとしても明らかにおかしいです。私は物語としての整合性を取りたいですから、既存の歴史イメージに乗るわけにはいかないと考えています。

倉本さん.jpg倉本一宏氏(撮影:霜越春樹)

倉本 「堕落、腐敗した貴族の時代を、素朴で勇壮な武士が打破した」という見方はいまだに根深いですが、果たして平安時代はよくないのか、武士の時代はよかったのか、考え直さなければならないと思います。大変ではあっても、平安時代はまことに「平安」な時代でした。中世のように問題の解決を暴力に頼るわけではなく、内戦もほとんど起こっていませんし、奈良時代の律令制を手直しした王朝国家として安定していました。人間にとって何が幸福かといえば、ご飯が食べられて、戦争の恐れがないこと。その意味で、平安時代と江戸時代は日本史のなかでも稀な、よい時代だったのです。


澤田 貴族と武士とを対概念で捉えることがそもそも間違いでしょうね。貴族のなかにも文官と武官があり、武力を担当する貴族もいました。その一部がより専門化していくことで、武士という階級・職種が生まれていく。貴族が堕落して武士が台頭したというような、両者が対立関係にあるかのような認識は誤っています。2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が、源頼朝ら武家政権には朝廷と密接な関係があるということをよく描いていたように、私たちの武士観も少しずつ変わってきています。それでも、貴族と武士が対立するものであるという旧来のイメージが独り歩きしてしまっています。


倉本 武士が貴族から生まれたというのは、すでに歴史学界でも定説です。平安時代から鎌倉時代にかけての武士は、江戸時代と異なり数は少ないですし、系譜が天皇に遡るなど出自もしっかりしています。貴族は穢(けが)れを嫌いますから、人を殺すなんてとんでもない。ですが、関東地方などで騒乱が起これば、どうしても誰かがそれを担わなければならない。といって身分の低い人にやらせるわけにはいかず、貴族のなかから武力を専門に担う家が出てくるのです。


澤田 平安貴族というと、門閥や血脈でもって出世していくようなイメージがありますね。けれども、たとえ藤原氏の一族に生まれた兄弟でも、片や没落し、片や出世していく。没落した家の出身でも、紫式部がそうであったように、実力があれば上東門院の腹心として活躍できる。貴族やお姫様というと何だか遠く隔たった世界のように思えますが、官僚社会であり、実力主義の社会でもあって、むしろ現代の我々にも身近で理解しやすい時代だったのです。

(続きは『中央公論』2024年3月号で)

*この対談は、国際日本文化研究センターと読売調査研究機構が主催する「日文研×読売Bizフォーラム東京」で2023年11月15日に行われたものです。

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倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)×澤田瞳子(作家)
◆倉本一宏〔くらもとかずひろ〕
1958年三重県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。専門は日本古代政治史、古記録学。著書に『蘇我氏─古代豪族の興亡』『藤原氏─権力中枢の一族』『公家源氏─王権を支えた名族』『平氏─公家の盛衰、武家の興亡』『増補版藤原道長の権力と欲望』『紫式部と藤原道長』など。

◆澤田瞳子〔さわだとうこ〕
1977年京都市生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学大学院博士課程前期修了。2010年『孤鷹の天』で小説家デビュー。同作品で第17回中山義秀文学賞受賞。13年『満つる月の如し』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞ならびに第32回新田次郎文学賞、16年『若冲』で第9回親鸞賞、21年『星落ちて、なお』で第165回直木賞を受賞。
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