老兵は死なず、ただ調べるのみ......92歳にして実証史学にこだわる我が生涯

秦 郁彦(現代史家)

個人情報の過保護

 最近は著名人が亡くなった際、かなり経ってから公表されることが増えた気がします。少し前までは誰かが没後いち早くマスコミに通知していました。ところが今や、誰もが知る上場企業で社長を務めた人の生死さえ、広報に問い合わせると個人情報保護を盾に回答を拒否されます。

 そもそも、個人情報がどこまで遡って保護されるかが法律に明記されていないので、個人情報保護法が拡大解釈され、事なかれ主義の対応が横行しているのです。聖徳太子や紫式部にも個人情報保護が適用されそうです。

 法務省から国立公文書館に資料が移管されたと聞き、新聞記者と一緒に同館を訪ねたことがあります。すると「80年後まで出さないという国際ルールがあるので、見せられない」という。私は海外の公文書館もよく利用しましたので、「そんなルールはない、あったとしても30年前後の公開が普通だ」と詰め寄っても暖簾(のれん)に腕押し。誰かが「80年は非公開で大丈夫だ」と言ったのに飛びついただけなのでしょう。「とにかく上の方の意向でダメです」と責任逃れする態度に腹が立ちましたね。

 仕方がないので閲覧室の棚を見ていると、明治12(1879)年の内務卿による各都道府県知事宛の通知を見つけました。京都府知事**殿、と名前部分が黒塗りで消してある。しかし、近くの棚に並ぶ参考文献を見ると、明治12年に誰が京都府知事だったかはすぐわかる。まさに頭隠して尻隠さずですが、それを指摘しても平然としている。明治12年から数えて80年以上経っているのになぜ黒塗りなのかと尋ねると、「30年前の開館時に誰かが墨を塗ったのでしょう。そうしたものをいちいち調べて手直しするほどの暇はない」と言われて終わりでした。

 国立公文書館で戦犯裁判の記録を調べていたときには、こんなこともありました。BC級戦犯(死刑は約1000人)の第1号の名前が黒塗りで消してある。第14方面軍司令官の肩書きと処刑日が記されていて、被告は1人だけ。一目見て山下奉文(ともゆき)だとわかりました。ところが第2号以降は被告が複数名なので、名前を間違えるのを心配すると情報として使えません。歴史家にとって、誠に困った時代になりました。

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