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ネット空間が第二の天安門広場になる

「08憲章」と劉暁波のノーベル平和賞受賞を読み解く
遠藤誉(筑波大学名誉教授)


署名者への取材が実現

 筆者はこの時ちょうど「日経ビジネスオンライン」で「ネットは『中国式民主主義』を生むか?」というタイトルの連載をしていたので、ネット公開された「08憲章」署名者の一人、鉄流氏と連絡を取り北京に会いに行った。なぜなら彼は「五七運動」の犠牲者の一人でもあったからである。

「五七運動」というのは一九五七年に毛沢東が起こした反右派闘争で、前年に知識人に自由な発言を許しておきながら、発言者約五〇万人を右派として逮捕し、その後二十数年にわたって投獄した事件だ。二〇〇七年はその五〇周年だったが、いまだに名誉回復されないどころか公安に尾行されながら日常生活を送っている人々もおり、その不満が目立つようになっていた。鉄流氏はすでに残り少なくなっている生存者を集めて『往事微痕』という文集を編集している。その第一号が二〇〇八年七月十日に内部出版されたばかりだ。「ネット空間官民争奪戦」がネットに現れたのと同じ日である。

 鉄流氏に、まず署名のいきさつを聞いてみた。すると「"08憲章"がネットで公表されるかなり前に、"五七老人"仲間から、『こんな憲章が回ってきたが署名しないか』という誘いがあった。読んでみると自分が言いたかったことがすべて書いてあったので、躊躇なく署名した」のだという。なるほど、そうでないと、公表した時点で三〇三名もの署名者がいるはずがない。

 しかし現在の中国で、このような文書に実名を出すというのは命懸けで、子供や孫の代にまで影響を及ぼすはずである。これに関して鉄流氏は「いや、自分はもう七十六歳。それに公安には半世紀も前からつけねらわれているから同じことさ」と苦笑した。

 筆者はさらに、鉄流氏に紹介され、共産党の老幹部ですでに八十八歳になっていた謝韜氏に会う機会に恵まれた。中国人民大学の副学長や政府のシンクタンク中国社会科学院社会科学文献出版社の編集長などの要職に就いた経験がありながら、「民主社会主義モデルと中国の前途」(二〇〇七年二月、雑誌『炎黄春秋』に掲載)などで歯に衣着せぬ政権批判を展開している。その謝韜氏はしかし、「08憲章」に話が及ぶと、困ったように首を振りながら次のように語った。
「う〜ん、あれねぇ。精神も理念もいいんだけれど、ちょっと非現実的かなぁ......。本当に改革を行おうと思えば、もう少し実現できる方法で攻めていかないとねぇ」というのだ。「劉暁波の理念がまちがっているわけではないが、いや、正しいんですよ。しかしあの建議の仕方は、あくまでも西洋思想に基づいた民主主義のやり方で、西洋の民主だけが"民主"のあり方のすべてではない。中国がまちがっているのは経済体制改革だけを優先して、政治体制改革を後回しにしてしまったところにあるわけで......」と言葉を濁した。

 なるほど。そういう見方があるのか─。この考え方は、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した後に公開された、中国共産党長老たちによる公開書簡にも一脈通じるものがあるように思われる。これに関しては後述する。

空白の一二日間

 では、中国政府は「08憲章」に対して、ネット公開時点でどのように反応したのだろうか。

 実は非常に摩訶不思議なことが起こっている。誰が見てもこれはまずいことになるだろうと思っていた「08憲章」だが、政府はその中心人物である劉暁波氏を公開前に拘束しておきながら、厳しいネット言論の検閲の下、なんと一二日間も「08憲章」をネット空間から削除せずにいたのである。
 筆者は当初はその理由がわからず「わざと放任して署名者が増えていくのを追いかけ、後で逮捕するために泳がせている可能性がある」と日経ビジネスオンラインの連載記事で推測した。

 しかし、実際は必ずしもそういうことではなかったようだ。

 二〇〇九年一月十五日付の「博訊」(http://www.peacehall.com/)によれば、「08憲章」の内容があまりに「政治的に敏感な」問題であったため、どの部局も責任を持ちたがらず、次々と上に報告して判断を仰ぎ、ついに胡錦濤国家主席の手元にまで上がっていったらしい。どう扱うべきか何度か会議が開かれ、十二月二十日前後に開かれた中共中央政治局会議では「これは(一九八九年六月四日の)六四天安門事件以来の中国共産党に対する宣戦布告だ!」と叫び出す者がいたが、胡錦濤は「我が党の転覆を図るような(外部敵対)勢力には絶対に手を緩めてはならない。しかし群衆の中から沸き起こった体制内の異なる意見に関してはまず聞き、その後意思疎通をして教育あるいは批判をしていかなければならない」という慎重な姿勢を示したようだ。民意の把握と、騒ぎすぎるとかえってことを荒立てるということだろう。

 これを受けて、鉄流氏らに対する公安の事情聴取が行われた。ネットで公開された後の「08憲章」署名者の数は、この一人一人に対する事情聴取と劉暁波氏の拘束により伸び悩んだ。もちろん実名署名は命懸けだ。そうでなくとも躊躇する。
 政府は爆発する恐れは低いと見たのだろう。「08憲章」公開の一二日目になって、憲章を広めることはもちろん、「08憲章」に対する批判さえ許さないという厳しい禁止令を発したのである。「08憲章」に関するものはすべて削除し、「無視」を決め込んだということだ。

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