ネット空間が第二の天安門広場になる
毛沢東の元秘書らによる政府批判の公開書簡
二〇一〇年十月十一日、毛沢東の秘書を務めていた李鋭(九十七歳)をはじめとする中国共産党元幹部ら二三名が発起人となった公開書簡がネットで発表された。宛先は、全国人民代表大会常務委員会で、憲法第三五条に謳われている言論出版等の自由を真に実現し、政治体制改革を急げというものである。公開日から見て、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞と関係するかのように思われるが、実は違う。なぜなら書簡の日付は十月一日となっているからだ。事実、この書簡の背景に関して、発起人の一人である鉄流氏は「謝朝平事件」(謝朝平氏は中国のノンフィクション作家で、三峡ダム建設をめぐって政府を批判する本を出版して拘束された)を挙げている。
この公開書簡が注目されるのは、言論弾圧の黒幕として「中宣部」(中国共産党中央宣伝部)を果敢に糾弾していることだ。そして何よりも、温家宝総理の言動さえ削除するという暴挙に出ていることを暴露している点だろう。中宣部は国家総理や国務院の上に立つのかと厳しく糾弾している。
温家宝は周恩来に匹敵するほど庶民に慕われている「親民政治家」だ。政治体制改革を唱えて憚らない。そのため最近では、胡錦濤国家主席さえもある程度距離を保つようになった。
この公開書簡は中国のネット空間からはすばやく削除されたが、長老たちは誰も拘束されたり逮捕されたりはしていない。彼らを拘束もしくは逮捕するには、公安や警察の判断ではなく、中共中央政治局といった高いレベルの判断が要求されることもあろうが、「総理や国務院の上に立っている」という中宣部をストレートに批判する過激な文言を載せたというのに、長老たちは「体制内の問題」として扱われる傾向にある。「国際敵対勢力」の有無と批判の仕方によって、扱いが異なるのである。
もっとも、これも胡─温体制の下であって、二年後には江沢民がサポートする習近平が国家主席の座に就くであろうことが、十月十八日に閉幕した中国共産党中央委員会五中全会で明らかになったので、事態はまた「硬」のほうに傾いていくかもしれない。なぜなら中宣部に隠然たる力を持っているのは江沢民とその一派だからだ。
今や中国政府が最も警戒している天安門事件の再来は、すでにその陣地を天安門広場からネット空間に移している。劉暁波氏が実刑判決を受けた理由のひとつにも「迅速にして広範な伝達力を持つインターネットという手段を用いた」ことが判決文の中に明記されているほどだ。もちろん「08憲章」だけでなく、李鋭らの公開書簡もネット空間に放たれたものであり、尖閣諸島問題に端を発した反日デモの呼び掛けもまたネット空間で行われている。
二〇一〇年七月の統計によれば、中国のネット人口は四・二億人。その約六〇%が改革開放後に生まれた「一人っ子」たちだ。地方政府高官の腐敗などを暴いて懲戒免職や党籍剥奪にまで追い込み、官側の「ネット恐怖症」さえ招いている。ここ数年、毎年起きる社会的な重大事件のうち、約三〇%はネットの炎上により政府を突き上げ、法規見直し等を含めた解決へと持ち込んでいる。
しかしそんな若者たちは「民主化」のような「政治体制改革」にはそれほど強い関心を示していない。彼らの関心事はもっぱら就職問題やマイホーム、マイカーなど、個人の日常生活を豊かにしてくれるか否かという身近な問題に集中している。
それはなぜか─。
小平は改革開放にあたり、経済体制改革とともに政治体制改革も必要だと述べていたが、政治体制改革のほうは天安門事件により封印されてしまったからだ。そして中華人民共和国誕生以来叫ばれてきた「向前看(前に向かって進め)」は同じ発音の「向銭看(銭に向かって進め)」に置き換えられた。そのため改革開放後に生まれた若者たちの権利意識は高くなったものの、「08憲章」的民主主義へと突進する環境には必ずしもないのである。
しかし社会に不満を抱いている若者たちが反日をきっかけにネット空間から飛び出しリアル空間で爆発した時には、政府のコントロールはきかなくなる。「愛国無罪」で防備している若者を過度に抑えればかえって反発を招くし、放置すれば矛先は必ず政府へと向かうからだ。この度の反日デモにおいてもそれは現実のものとなった。
だからこそ九月十八日にはあらかじめ反日デモを規制しながら、その埋め合わせとして中国政府は対日強硬策を取った。十月十六日から学生たちが起こした一連の反日デモは、中国政府にとっては最も起きてほしくなかった現象である。ノーベル平和賞が決まった後でもあり、五中全会開催中でもあったからだ。
既得権益を擁護する江沢民派閥が背後にいる次期習政権は、ネット検閲をさらに強化し政治体制改革を遅らせるのか、そして若者たちの権利意識と社会不満が、果たして「08憲章」的な「民主」と結びつくところまで膨らむのか、中国の動向に注目していきたい。
(了)
〔『中央公論』2010年12月号より〕