ネット空間が第二の天安門広場になる
なぜノーベル平和賞の決定に激しく反発するのか
二〇一〇年十月八日の、劉暁波氏にノーベル平和賞が授与される決定に対する中国政府の反応は迅速だった。迷うことなく抗議を表明し、獄中の罪人にノーベル平和賞を授与するというのは同賞への「冒涜」であるとさえ断言して非難した。
胡錦濤には「硬的更硬 軟的更軟」(強硬に対処すべきものにはさらに強硬に、柔軟に対処するものにはさらに柔軟に)という基本姿勢があるが、体制内問題でない以上、断固として「硬的更硬」に属する事柄であった。したがって、これに関しては一歩たりとも譲る気持ちはない。
ネット情報だけでなく電子メールに至るまで、「劉暁波」だろうと「08憲章」だろうと、はたまた「ノーベル平和賞」だろうと、新華社等が配信した政府見解以外は、そのかけらがあるだけでもすべて削除されてしまう。それほどに徹底したのだ。
そこには「国際敵対勢力の内政干渉」、すなわち「外国からの干渉」に対する激しい反応が見て取れる。
中国政府から見れば劉暁波は一九八九年の六四天安門事件の時から学生を支持し、その後の反体制的な執筆活動等で何度も投獄された経験がある重大な政治犯。そういう人物にノーベル平和賞を授与するということは、「外国」による「内政干渉」以外の何物でもないのである。特にアメリカのオバマ大統領は劉暁波氏の受賞を高く評価しただけでなく氏の釈放を要求する声明を出している。これこそまさに「国際敵対勢力による内政干渉」の典型と位置づけられた。
そうでなくとも二〇一〇年二月九日に北京市高級人民法院が出した判決文では、劉暁波氏の銀行口座への海外からの送金記録が明らかにされている。これはひとつには海外にいる民主活動家からの支援があったと推測されるが、実際には海外のウェブサイトへの投稿に対する原稿料のほうが多いのかもしれない。劉暁波氏が「中共の独裁愛国主義」や「多面的な中共独裁」など共産党の一党独裁を非難する数多くの文章を「大紀元(http://www.epochtimes.com)」「観察(http://www.observechina.net)」「民主中国(http://www.minzhuzhongguo.org)」「独立中文筆会(http://www.chinesepen.org)」等、海外にサーバーがある数多くのウェブサイトに投稿していた記録が、押収されたパソコンから明らかにされている。海外にいる華人華僑団体のものであっても、そこには必ず当該国の民主活動家の支援、あるいは当該国政府の後押しがあるとみなされ、「国際敵対勢力」による中国の治世への干渉だと位置づけられるのである。
なぜここまで「国際敵対勢力」であるか否かを峻別する必要があるかというと、一九八九年の天安門事件は、「改革開放」した「窓」から入ってきた「西洋の民主化概念」によるものだと位置づけられているからだ。「窓を開ければ蝿だって入ってくるさ」と高を括っていた小平も、西洋文明の魅力に惑わされて天安門で民主化を叫ぶ若者たちに銃を向けた。
この天安門事件の再来ほど、政府にとって怖いものはない。それを防ぐために、その後国家主席になる江沢民の提唱により一九九一年から「愛国主義教育」を始めたが、その理念は当初、「・崇洋媚外・をやめ、中華民族の伝統的な文明を愛そう」というものであった。・崇洋媚外・とは「西洋を崇拝し、外国に媚びる」という意味だ。しかしこの「愛国」はやがて「国の礎である抗日戦争において中国共産党がいかに偉大に闘ったか」という教えへと変貌していき、今日の若者たちの激情的な反日感情を醸成する結果を招き、反日デモなどにより政府を悩ませている。国内矛盾を数多く抱えている政府としては、いかなるデモであれ、暴走すればその矛先が政府自身に向かってくることを知っているのだ。だから一昔前のように官製デモを仕掛けることはなく、また学生デモを非常に恐れている。