TPPと「同盟ダイヤモンド」拡張中国への抑止力

谷口智彦(元外務副報道官)

 新しい防衛大綱は、主たる関心を北から南西へ移動した。そこが中国海軍の活動主舞台であり日本にとって石油の出入口でもあってみれば、国防の注意をしかるべく向け直すのは当然だ。

 けれども冷戦が去りソ連が消えたから今後南西にだけ関心を払えばよいとする類の図式的理解に留まっていると、いま現れつつある新秩序に向けた大きな動きを恐らく見逃してしまう。

 あたかも米国はようやく中国政策を立て直し、太平洋・インド洋を覆う同盟関係の再強化と、それを土台とする自由貿易網の構築にとりかかった。

 地図に描くと前者の同盟網はダイヤモンド、後者=環太平洋経済連携協定(TPP)は五角形即ちペンタゴンの形をとり、日本は双方において結節点をなす(詳しくは後述)。

 拡大する中国の勢威に対し海洋民主主義勢力を糾合する枠組みが姿を現しつつあるいま、大綱が示す日本の防衛政策は、もとよりこうした広い視角において論じられるべきものだ。

TPP参画は日本の安全保障政策

 中国の権益はその経済力拡大とともに当然のこととして四方へ伸び、戦略物資を運ぶ洋上交通路=シーレーンも、それに連れ八方に延びている。

 今後の中国に発想・行動の劇的転換がない限り、交易路の安全を中国は自分の手で、人民解放軍海軍(PLAN)の力で守ろうと考えるだろう。

 それは取りも直さず、日本の行動空間に制約を及ぼす。沖縄や尖閣列島ばかりに目を奪われていると、思わぬ方角に延びようとするPLANの影にいつか驚かされなくてはならない。

 日本経済はとりわけその戦後成長期、米海軍の手になる安全網をあたかも空気さながら当然視して発展することができた。近年でこそ中東とつながる航路の安全に日本自身気を遣うようになったけれども、あくまで最近│小泉純一郎総理が海上自衛隊をインド洋・アラビア海へ出して以来のことだ。

 ましてや太平洋という「アメリカの湖」のどこをどう走ろうが、その安全を自分の責任で引き受けねばならない事態など想像すらしたことがない。

 中国は、同じ発想をするだろうか。中国にとって米国は同盟相手ではない。友好国であるかさえ疑わしい。中国とは実は軍事的に孤立した大国で、時に同盟国扱いされる北朝鮮やパキスタンは干渉ないし庇護の目的物ではあれ、安全を頼める国ではない。まして海上安保を頼れる国など見当たらない。

 だとすると例えばカナダやチリ、豪州へ連なる航路の安否という日本が等閑視することのできた太平洋上の安全保障環境について、いつかはPLANの力で守るべしと考えるのは北京生来の発想であろう。

 端的な示唆を与えるのが上掲の図1である。日本列島は中国のシーレーンによって南北に挟まれることがわかる。汲み取るべきは、これが交易だけのルートであって軍事的意味合いを随伴しないなど、呑気な思い込みは中国の場合当てはまるまいということだ。

 通商路の拡大を海軍力が後追いする動きをもし中国に意のまま続けさせたとすると、アジア太平洋、インド洋の既存秩序は動揺し、混乱する。もちろん日本の戦略空間は、とみに狭まる。

 中国の拡張を事前に抑え、自由で安全な海洋交易秩序という開かれた公共財から同じように便益を受けたいと、彼らに思わせなくてはならない。そのため所要の改革や態度の修正が必要だと、北京自身に悟らせる必要がある。

 いわば強い対中インセンティブの構造を太平洋からインド洋にかけ造成するためにこそ、日米同盟はいま改めて堅牢さをもたねばならず、価値観と利害を共有する海洋民主主義諸国に連携を求めて拡大しなくてはならない。

 即ち日米同盟の強化とは菅直人政権が政局の当用に主張するよりはるかに長い、一世代挙げて一貫した努力を必要とするものだ。その出発点として沖縄の基地問題を解くことは重要であるけれども、一基地の所在いかんに還元し尽くせるものではあり得ない。

 菅政権が進めるというTPPとは、このようにしてつくるべき対中インセンティブの経済的土台をなす。TPPに入るか否かはそれゆえ日本にとって、経済的得失の視角からのみ論ずべき対象ではない。日本の安全保障と、国柄自体のかかった何物かである。

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