TPPと「同盟ダイヤモンド」拡張中国への抑止力

谷口智彦(元外務副報道官)

 ミクロネシア連邦やフィジーなどへの肩入れぶりから推し量る限り、中国は中継港や補修拠点を各地に置き、自国商船隊の安全網を自ら供給すべく準備を始めたかに見える。

 アジアの海からインド洋にかけ中国が寄港地をつなぐ「真珠の首飾り」を持ちたがっているとはよく知られたところだが、真珠は太平洋の処々方々にもばらまかれつつあるかのようだ。

 日本にとっての悪夢とは、「四島一括返還」の立場を譲れぬ日本がロシアとの間で北方領土を巡って膠着を続ける間、中国がくだんの四島いずれかに巨額のカネをつけ寄港地に、即ちもう一粒の真珠にしてしまうことだ。

 今後中露の接近次第によって、あり得ない想定ではない。本稿が見た通り、北方領土は新たな戦略性を帯びつつある。この際、たとえ一島でも日本の手にあるとないとでは大違いになる。

対中インセンティブ構造をつくれ

 つとに米国ではバラク・オバマ政権の登場を前に、リチャード・アーミテージ元国務副長官、政治学者ジョゼフ・ナイ氏らから米国は「スマート・パワー」たるべしとする論調が出ていた。軍事力=ハード・パワーに偏重する一国行動主義を対義語とするスマート・パワーとは、同盟に再注力することを一つの柱とする考えだった。

 主張はヒラリー・クリントン国務長官の全面的に汲むところとなる。就任に際して必要な議会の承認を得るため施政方針を述べた折、「スマート・パワーを用いなくてはならない」とする一節を同長官は早くも用いた。

 ただし中国に対しては国務・財務両省総がかりの会談を定例化するなど、対話路線を当初は試みた。もはや経緯の詳説は不要だろうがレア・アースを戦略的に用いノーベル平和賞受賞者を獄中から出さない中国を見、国内には巻き返した共和党の対中強硬路線が再燃するのに接したオバマ政権は、ようやく中国を睨んだスマート・パワー路線の実施に取り掛かる。

 その表れが、大統領と国務長官が同時にアジアを歴訪し、しかも中国に立ち寄ることを避けた昨秋十、十一月にかけての外交攻勢だったと言える。

 大統領が訪れたのはインドとインドネシア、韓国と日本。国務長官はその裏で、ハワイから始めてグアム米軍基地を訪い、ベトナムを経てカンボジア、マレーシア、パプア・ニューギニアとニュージーランド、豪州に寄った後、あえて中国の影もちらつく米領サモアから本土に帰る旅程をとった。

 北京ならずとも、ここに託された戦略性を図2の如く認識することはもはや容易と言えるであろう。

 太平洋に置く米国軍事力の要はなんといってもハワイ、最も重要な同盟ラインは日本・韓国とのそれである。

 今後多くを頼む相手はいよいよもって民主主義大国のインドである。豪州は精神的に最も頼れる同盟国、ニュージーランドは米国との距離を近年急速に詰めた国としてそれぞれ重要だ。

 これらを結ぶとあたかもダイヤモンドが現出する。米国の太平洋スマート・パワー戦略とは、ダイヤモンド戦略と命名し得るものであろう。この各辺にして堅固不抜であるならば、中国の台頭によく対峙し得る。即ち先刻来の用語で言うなら、強固な対中インセンティブ構造となり得るのである。

 図3はこれとは別にTPPのネットワークを示したもので、ここでは日本を加入国として描いてある。国務長官がベトナム、マレーシア、ニュージーランドを訪問先に含めたのはこれら諸国がTPP参加に名乗りを上げているからでもあった。以上二つの図を重ね、それと中国のシーレーンを示す図1を合わせ見てみると、米国が目指す太平洋秩序は明白だと言わねばならない。

 中国がこの先どれほど経済力を増すにしろ、かつまた海軍力をつけたところで、各方面に延びるシーレーンの防備を一人で担うコストは高い。

 まさしくそこに、日米が主となって対中インセンティブ構造をつくる妥当性がある。

 経済においては法の支配と交易の自由、市場の透明を旨とするリベラル・ペンタゴン(五角形)、軍事では海の自由に責任を負う民主主義諸国間の同盟・準同盟がなすダイヤモンド。

 これを米国主導のもと縫い上げていくことで、太平洋・インド洋に自由の秩序を築き、もって中国に路線の変更を促し続けることこそが海洋民主主義諸国の進むべき道である。日米同盟を強化する目的はここにこそあり、新しい防衛大綱が目指す政策も、これに資すものでなくてはならない。

(了)

〔『中央公論』2011年3月号より〕

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