上田洋子 ロシア兵は悪の鬼「オーク」なのか

上田洋子(ロシア文学者・ゲンロン代表取締役)

「オーク」としてのロシア兵?

 現在、ウクライナではロシア兵が「オーク」と呼ばれている。これはトールキンの『指輪物語』やそのハリウッド映画版『ロード・オブ・ザ・リング』に登場する醜悪で残忍な種族に由来する。この世で最も美しいとされるエルフが、闇の魔王の拷問によって歪められ、オークになったとも言われる。岩波少年文庫の『ホビットの冒険』では「オーク鬼」と訳されているが、まさにかつての日本で社会の落伍者や見慣れない異形の者が「鬼」と区分されたのと同じ感覚なのだろう。オークはゲームのキャラクターなどにも広く展開されている。だから、ある世代以降のウクライナ人にとっては、日々ゲームの中でヴァーチャルに闘い、倒してきた相手でもあるのかもしれない。

 ウクライナで、このオークがロシア兵を指す言葉になったのは、2014年のクリミア併合および東部紛争開始を受けてのようだ。それが、今回の侵略を機に一気に広がった。今、ウクライナの友人・知人は、なんの遠慮も罪悪感もなくこの言葉を使っている。

 さて、モンゴルのシャーマニズムを論じた本、島村一平の『憑依と抵抗』を読んでいたところ、オークが出てきて驚いた。ウランバートルの都市住民は、ゲル地域と呼ばれる、ウランバートルを囲む巨大なスラム街に暮らす地方出身者を見下して「オルク」、すなわちオークと呼ぶそうだ。モンゴル語の「地方出身者」の略称でもあるが、『ロード・オブ・ザ・リング』の影響もあるという。粗暴で目障りなよそ者をオークと呼ぶのはよくあることなのだろうか。

 じつはこれは旧共産圏に共通して見られる話であるようだ。『指輪物語』のオークは東の国モルドールに暮らす、扁平な顔をした悪者たちである。ソ連人は、西側世界から嫌われ、孤立するオークに感情移入し、自分たちを重ねていたようなのだ。「扁平な顔」はもちろんアジア的な容姿の特徴であろう。アジア系を思わせる顔つきで悪者を描くことには、ヨーロッパ人トールキンの敵のイメージが無意識に表れているのだろう。民族的ロシア人はヨーロッパ系のスラブ人であるが、ロシアにはアジア系の民族もたくさん暮らしている。むろんトールキンはモルドールとソ連の関係を否定している。

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