安倍外交「自由で開かれたインド太平洋」構想は、 いかにして誕生したか

日本国際フォーラム上席研究員・高畑洋平氏が解説
高畑洋平
写真提供:photo AC
安倍晋三元首相の外交における最大の功績の一つともいわれる「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想。その原点は彼が官房長官を務めた小泉政権時に遡る。中国、韓国との関係に苦慮する中、より広い視野に立って両国と向き合い、その延長線上でインド洋と太平洋という「二つの海」の交わり、「地球儀を俯瞰する外交」という発想に至ったという。「競争」か「協調」か。今後、対中関係は「開かれたインド太平洋」構想の中でどのような位置づけがなされるのか。その行方を含め、構想誕生の経緯をたどる。

※本稿は、公益財団法人日本国際フォーラム編『ユーラシア・ダイナミズムと日本』収録の「『ユーラシア外交』という日本の選択」(高畑洋平)の一部を抜粋・再編集したものです。

「インド太平洋」という着想

 昨今、日本の外交戦略を語る上で、重要な外交構想に「インド太平洋」がある。この概念が初めて公式に登場したのは、20078月、第一次安倍政権において、安倍が「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)と題してインド国会で演説した時代まで遡る。安倍はこの演説で「太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、一つのダイナミックな結合をもたらしています。従来の地理的境界を突き破る『拡大アジア』が、明瞭な形を現しつつあります。これを広々と開き、どこまでも透明な海として豊かに育てていく力と、そして責任が、私たち両国にはある」と述べ、新段階の日印関係の可能性について、当時のマンモハン・シン首相に呼びかけた。

 それから5年4カ月後、「二つの海の交わり」の発展型としてまとめられたのが、第二次安倍政権の発足直後、20121227日に発表された「アジアの民主的な安全保障ダイヤモンド(英題:Asia's Democratic Security Diamond)」という英語論文である。

 この論文は安倍が首相就任前に書かれたもので、その内容は、「太平洋における平和と安定と航行の自由は、インド洋における平和と安定と航行の自由と切り離すことができない」とした上で、(南シナ海における中国の海洋進出を念頭に置きつつ)インド太平洋の平和と安定に向けて、日本、米国(ハワイ)、豪州、インドという四つの海洋民主主義国家がダイヤモンド状に連携・協力すべし、とする構想に関する内容であった。

 安倍は「インド太平洋」の着想の経緯について、後のインタビューで次のとおり証言している。

 「(インド太平洋に着目したのは)小泉政権のときですね。私は官房副長官(2001年4月~03年9月)、官房長官(0510月~06年9月)として小泉内閣の一員を務めましたが、そこで総理が中国・韓国との関係にたいへん苦労される姿を見てきました。(中略)中韓とのつきあいは、二国間関係に囚われるのではなく、地球儀を俯瞰しながら、より広い視野を持って向き合った方がよい、と考えるようになりました。そしてその過程で、インドについて深く関心を持つようになりました」

 安倍にとって太平洋とインド洋を一つの「インド太平洋」として捉える新たな着想は、インドへの関心の高まりと「二つの海の交わり」の構想をさらに発展させたことに起因するものであった。

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