西村 晋 徹底した封鎖管理を可能とした中国の「基層」を読み解く 末端を支える自治組織と中共党員

西村 晋(文化学園大学語学研究室准教授)

 居委会とは何か

 居委会を一言で説明するならば、社区の住民が、上や余所(よそ)からの助力によってではなく、自らの手で、住民を教育し、住民を管理し、住民に公共サービスを提供するための組織ということになる。

 居委会の役割は「中華人民共和国城市居民委員会組織法」の第3条で次のように規定されている。①憲法・法律・法規および国家政策の宣伝。住民の合法的権益の保護。住民へのコンプライアンス教育 ②社区の住民の公務および公益サービスの処理 ③住民間のもめごとの処理 ④治安維持への協力 ⑤公衆衛生・家族計画・傷痍軍人等への補償・青少年教育等の業務の遂行における、政府およびその出先機関(街道弁事処)との協力 ⑥政府とその出先機関に対する住民の意見・要望・提案の報告。

 一昨年からのコロナ対策を理由にした外出制限では、社区の居委会が前線指揮と住民の監督を担った。これは「居民委員会組織法」を根拠法とした⑤の公衆衛生業務の遂行となる。また、封鎖管理下にある小区に食材などを配給するのは、①の住民の合法的権益を保護する業務となる。

 上海市のケースでは、配給物資が地域ごとに異なることが現地のSNSや複数の在留邦人から報告されている。ある地域では高級品のソーセージが配給されているのに、別の地域では駄菓子のようなソーセージが配給されるといった具合であった。また、特定の野菜のみが大量に配給される現象も多くの社区で見られた。

 居委会には、住民と政府機関との間の「伝声管」となる役割が平時以上に求められた。これは、行政の政策や規制を住民に告知し遵守させるだけではない。住民側からのクレームや要望を汲み、行政機関に伝達する役割がそれ以上に重要である。隔離期間中に食料配給が改善されたケースもあり、声を吸い上げる機能は相応に発揮されたものと思われる。

 居委会は5~9名で構成され、主任、副主任、およびその他の委員は居民会議での選挙で選ばれる。

 18歳以上の住民は居委会の選挙権と被選挙権を持つ。投票箱に投票する点は日本の選挙と同じだが、会議体のため、定足数が存在する。居委会の選挙の定足数は有権者の過半数である。つまり、投票率50%未満という事態はありえない。ただし、日本の選挙と異なり、各戸の代表が投票することや、近隣住民の小グループが2~3人の選挙人を定めて代理で投票させることも可能である。選任された委員の任期は5年(数年前までは3年だった)である。

 居委会は社区の執行機関ではあるものの、最高意思決定機関ではない。形式上、社区のガバナンスは意思決定と執行の分離がなされており、社区の最高意思決定機関として居民会議が設置される。委員の任命のみならず、住民の利害に大きく関わる重要問題は、居民会議での討議と多数決をもって決定されねばならない。

 また、現職の委員であっても、居民会議の議決を経れば罷免できる。形式上は直接民主制による自治の仕組みが整えられているのだ。

 このような直接民主制の会議体と委員会の関係は中国の多くの組織に見られる。従業員大会や村民大会などは、直接民主制の会議体である。(先進諸国から「独裁国家」として注目されがちな)中国であっても、これらの会議体は、十分な討議と多数決をもって重要事項を決定することを是としている。後述する末端党組織でも同様である。

 ただし、行政が主導する公衆衛生や家族計画に居委会が協力させられる場合はこの限りではない。かつて一人っ子政策に関わる業務を居委会が行ったのと同様、近年のコロナ対策に関わる住民の行動制限や全住民を対象としたPCR検査も、居民会議の議決を経たものではない。

 先述のとおり、居委会の委員は5~9名である。わずかこれだけの人数で数千世帯の社区を担当することは、平時であっても困難が多い。もともと居委会自体が「草の根」レベルの活動を対象にしていた。ところが、都市生活の現代化によって隣人同士の繋がりが薄れると、居委会の委員が生活者一人ひとりの状況を把握することは事実上不可能になってくる。それゆえ、社区をさらに細かな「グリッド(格子)」に区分し、居委会と住民との橋渡しを担わせるようになった。

 近年では「グリッド担当者(網格員)」と呼ばれる補助的なスタッフが配備される社区が多いようだ。また、コロナ対策ではきめ細かな現状把握と対策が必要になったため、「グリッド化」は多くの社区で必要不可欠な手法となった。

 社区における「グリッド化管理(網格化管理)」とは、社区をさらに細かいグリッドに分け、小分けされた地域に連絡と管理のための人員を配置するという方法である。「グリッド化管理」にベスト・プラクティスのようなものや一定のモデルのようなものはあるが、法制化されているわけではないので組織編成や活用法は地域によってバラつきがある。

 グリッド担当者という字面からは何かネットワークやハイテクに関わる職業が連想されるが、実際は泥臭い仕事である。疫病や災害などがない平時であれば、主な仕事は、「公衆トイレが汚い」「向かいのカラオケがうるさい」といった身近な悩みへの対応である。

 居委会の委員の報酬も高くはないが、グリッド担当者の報酬は居委会の委員よりもさらに低いことが一般的である。上海市のグリッド担当者の報酬は地区によってまちまちであるが、1ヵ月あたり7000~8000元(約14~16万円)前後、多くても9000元(約18万円)程度と思われる。グリッド担当者の報酬としてはこれでも高いほうで、物価水準の低い地域では3000元(約6万円)前後の基本給である場合も多い(この基本給に業績報酬が上乗せされる)。いずれにしても、とりあえず暮らしていける程度の収入である。

 しばしば、中国の一流大学の卒業生や、それどころか修士や博士の学位を取得した高学歴者までもが、「就職難のせいで安月給の雑用をさせられている」とネットで話題になることがある。このようなケースは少なからず社区のグリッド担当者か、あるいは、それに近い職業である。たとえば、2021年の上海市老西門街道の社区では、蘇州大学の院卒者や、復旦大学の新卒者がスタッフに採用されている。

 コロナ以前であれば、1~2の小区を一つのグリッドにし、担当者を配置するケースが少なくなかった。しかし、封鎖管理下の上海では、一つの小区を5~9程度のグリッドに細分化し、さらに、一棟一棟に担当者を配置して対応するケースが見られた。このようなケースでは、一つのグリッドに3~5棟のマンションが入ることになる。

 各棟に担当者を配置する場合、グリッド担当者を総動員しても人員が足りない。多くの社区では、ボランティアを募ることで人員不足を緩和させた。後述するように、ボランティアの大半は中国共産党の末端党員である。また、マンションの警備員もこのような自治活動の戦力として投入された。

 いくらネット社会が発達したといえども、5~9名の居委会が数千世帯の住民と直接連絡を取ることは不可能である。まして、小区内の感染者の発生状況やPCR検査の進捗状況をモニタリングし、保存食はともかくも野菜などの生鮮食品を配給することには無理がある。ゆえに、居委会→グリッド担当者→棟の担当者→住民のような多層的な連絡系統をつくる必要があった。住民がグループチャットで棟の担当者と連絡を取り合うケースが典型であったようだ。棟の担当者はグリッド担当者に連絡し、最終的に居委会に繋がる連絡網を構築できる。大規模な社区であれば、グリッドを上位・大規模の「中隊」と、下位・小規模の「分隊」の二層構造にすることなどで対応したようだ。

(続きは『中央公論』2022年8月号で)

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西村 晋(文化学園大学語学研究室准教授)
〔にしむらすすむ〕
1977年東京都生まれ。創価大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得後退学。博士(経済学)。専門は経営学。中国・河南農業大学外国語学院准教授などを経て2022年より現職。著書『中国共産党 世界最強の組織』。
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