小泉 悠×熊倉 潤 プーチンと習近平の急所はどこにあるのか?――二つの権威主義体制を徹底解剖

小泉 悠(東京大学先端科学技術研究センター講師)×熊倉 潤(法政大学法学部准教授)
小泉 悠氏(左)×熊倉 潤氏(右)
 現代の権威主義体制の代表と言われ、盤石にも見える中国とロシア。だが、そこにほころびはないのか? 中露の専門家が指導者、政軍関係、国民性など、多角的な観点から徹底解剖する。
(『中央公論』2023年3月号より抜粋)

プーチンと習近平、指導者像の違い

小泉 初めにお話ししたいのが、独裁国家と言えば、当然のように中露がその代表格とされることが多くなったことについてです。というのも、私の10年前の感触は大分違いました。ロシアで言えば、2012年にプーチンが首相から大統領に復帰した頃でさえ、権威主義的な指導者ではあるものの、中国に比べればまだ社会に自由があると考えていました。ましてや北朝鮮とは全然違うと、ロシア人もそう説明していました。中露の両方を研究しておられる熊倉先生はどう思いますか。


熊倉 私も同じ認識です。ロシアにおける権威主義化、独裁の強化が進んだのは2010年代になってからだと見ています。SNSをはじめとしたインターネットへの規制が強まり、かつて見られたものが見られなくなったり、言えたことが言えなくなったりしていきました。

 中国も同様で、10年代を通して、言論統制の強化や、様々な自由の範囲が縮小していったと思いますね。この傾向は10年代を通じてパラレルに、インタラクティブな形で進んでいったのではないかと考えています。


小泉 それはなぜでしょうか。ロシアの場合は分かりやすいんです。プーチンが大統領に復帰する前年の12月に、ロシアで下院の不正選挙に抗議する大規模なデモがあって、政治学者のマイケル・マクフォールが言っているように、プーチンはこれを、当時のアメリカ大統領オバマが自分の再選を阻止するために企てた陰謀と見ていました。しかもその前に旧ソ連諸国でカラー革命があり、ほぼ同時期に「アラブの春」も起こりました。アメリカが「見えない戦争」によってプーチンの権力や、ロシアの地政学的利益を掣肘(せいちゅう)しようとしているという認識を、プーチンと元KGB(ソ連国家保安委員会)の仲間たちが持ってしまった。その結果 、10年代に締めつけがどんどん強まっていった。

 中国の場合、習近平は権力の座に就いた当初から統制強化の方向に突っ走っていったんですか?


熊倉 共産党総書記になった12年頃の習近平の方向性はまだはっきりしていませんでした。派閥間の妥協の結果その地位に就いたようなところがありましたし、本人にも権威主義的な独裁者になるような雰囲気はなかったです。

 習近平が10年代半ばから権威主義化に走り始めたのは、ロシアと同様に他国の民主化の波が自国にも及ぶことを警戒したという対外的な理由があると思います。それに加えて、前任の胡錦濤時代にうまくいかなかった改革を推し進めるには、強力な指導者が必要だと考えた対内的な理由もあったと思います。当時は集団指導体制から権限を個人に集中させることを求める声もあり、それを実行したのではないでしょうか。

 ただ、習近平は今も基本的に官僚組織のトップにいて、その組織を体現するような形で動いているように見えます。彼の個人的な思いが見えにくいからこそ、習近平体制についていろいろな議論があるのだと思います。

 そうした評判を意識してか、習近平は毛沢東の再来を演じるようになったところがあります。10年代、反腐敗闘争の過程で多くの共産党幹部を汚職を理由に失脚させ、権威を確立しました。毛沢東時代の「整風運動」を模倣して、最高指導者にとって都合の悪い人間を排除したとも言えます。しかし、毛沢東と決定的に違うのは、肉声が聞こえてこないことです。毛沢東であれば『毛沢東語録』があります。習近平にも『習近平 国政運営を語る』という本がありますけれど、それもやはり官僚機構がつくり出した言葉なんですよね。


小泉 そこが確かにプーチンとは対照的です。習近平はいつ見ても表情に感情が全く表れず、ある意味で中国的な偉人っぽさがある。一方でプーチンは、上半身裸でマッチョアピールをして、その俺がこう考えると訴える(笑)。「国民対話」や「大記者会見」で国民や記者と直接何時間も話し続けて国民にアピールします。間違いなく、ウラジーミル・プーチンという男が国を動かしていることが分かります。けれど、習近平は極めてヴァーチャルな感じです。確かに二人とも権威主義的リーダーではあるけれど、そういうフィジカル感が全く異なりますね。

 ただ、新型コロナの感染が拡大してから、プーチンもあまり表に出てこなくなって、いかにもロシアの凋落を象徴している気もします。


熊倉 仰るとおりだと思います。

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