サッチャー――イギリスの女性宰相に何を学ぶか

池本大輔(明治学院大学教授)

マーガレット・サッチャーと女性であること

 サッチャーは女性初の首相として、後の世代の女性にとって「ロール・モデル」となったが、男女平等を求めるフェミニストたちの間での評判はかならずしも芳しくない。その理由は、サッチャーが女性の社会進出の障害である「男は仕事、女は家事育児」という伝統的な性別分業意識を否定せず、首相になってからも「主婦」であるかのように振る舞ったこと、男性以上に男性社会の論理を受け入れ、「男性化」することで成功したとみなされていることにある。このような評価は妥当なのか、サッチャーが首相になるまでの道のりを、彼女が女性であるがゆえに乗り越えなければならなかった障害に焦点をあてながら、振り返ってみよう。

 サッチャーは1925年、イングランド中部の田舎街グランサムで生まれた。実家は小さな食料品店を営んでおり、父アルフレッドは家業のかたわら市議会議員として働き、母ベアトリスは店番をするほかは専業主婦であった。サッチャーが父の影響について多くを語る一方、母について言及することがほとんどなかったのは示唆的である。大学に入学したのは第2次世界大戦末期の43年のことであるが、当時のオックスフォード大は女性にとって狭き門であった。女性を受け入れるカレッジはわずかで、名門カレッジでは皆無であり、形式的にも男女平等は実現していなかった。加えて入学試験では、女子校の公立学校で教えられることが稀なラテン語が必須科目になっていた。救いだったのは父アルフレッドが教育を重視する人物だったことで、経済的な余裕のない家庭であったにもかかわらず、サッチャーのためにわざわざ家庭教師を雇ってラテン語を学ばせたという。

 オックスフォードで学んだのは、洗剤や食品を扱うがゆえに女性向きだとされていた化学である。男性の首相経験者の多くが大学時代、古典学やPPE(哲学・政治学・経済学)を専攻しているのとは大きく異なる。在学中に政治家を目指すと決めたものの、そうした学生の登竜門として知られる討論クラブ「オックスフォード・ユニオン」は当時まだ女性に門戸を閉ざしており、ここでも性別がハンディキャップとなった。

 大学を卒業したサッチャーは、化学会社で働きながら法曹資格を取得し、政界への足がかりを掴もうとした。イギリスの場合、選挙は政党本位で争われ、個人で左右できる票数は少ないから、党の地盤の選挙区で公認候補者になることが重要である。日本ほど選挙区回りに力を入れる必要はなく、その点ではキャリアと家庭における責任との両立を求められる女性にやさしいとも言えるが、そのかわり公認権を持つ党の地方組織に自らを売り込まなければならない。年輩の女性の支持者が多い保守党で、未婚・子なしの若い女性が有望な選挙区の公認を得るのは困難だったが、出産・育児はキャリアの前進を遅らせかねない。

 サッチャーにとって転機になったのは、夫デニスとの出会いである。10歳以上年上だが、会社の経営者で彼女のキャリアプランに理解のある彼と結婚することで、経済的な安定を得て、自らのキャリアに専念することが可能になった。53年に双子を出産すると、数年後に政治活動を再開、58年末に保守党の地盤であるロンドン近郊の選挙区の公認候補に選ばれ、翌年の総選挙で初当選を果たした。

 念願叶って国会議員になったものの、当時は議員の多くが午前中は政治以外の仕事をこなしていたため、国会では午後5時に本格的な審議が始まり、重要法案の採決は夜10時という議事運営がなされており、およそ子育て中の女性にやさしい職場とは言えなかった。

 いかにサッチャーが主婦ならではのマルチタスク能力を強調したとしても、彼女が仕事と育児を両立できたのは、秘書やベビーシッターを雇う経済力があったことによるところが大きい。


(続きは『中央公論』2024年7号で)

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池本大輔(明治学院大学教授)
〔いけもとだいすけ〕
1974年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。オックスフォード大学政治国際関係学部Ph.D.(政治学)。専門はヨーロッパ統合、ヨーロッパ国際関係史、イギリス政治。著書に『European Monetary Integration 1970-79』など。
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