ガザ紛争、長期化の要因と停戦のシナリオ...オスロ合意からの「二国家共存」路線を再考するとき

鈴木啓之(東京大学中東地域研究センター特任准教授)

ハマスによる襲撃の経緯

 そもそもハマスによる越境攻撃の目的は何だったのか。

 10月7日に、ハマスの軍事部門であるカッサム旅団の最高司令官、ムハンマド・ダイフによるビデオメッセージが公開されています。これはおそらく事前録画されていて、ハマスが意図していた攻撃の内容が語られているものです。そこでは、「我々は5000発のロケット弾等を発射し、戦闘員が数千人規模で越境をし、イスラエルのキブツ(農村)と軍駐屯地を襲い、多くの兵士を人質にしてきた」と語っています。しかし、実際にイスラエルが確認しているロケット弾の発射数は3000発程度と言われ、襲ったのは軍施設よりもむしろ周辺の町が多く、人質も市民が多かった。

 ただ大事なのは、イスラエルによるパレスチナの占領が国際規範や国際法を破るもので、それに対して世界の指導者が行動してこなかったことを訴え、聖域であるエルサレムやアル=アクサ・モスクへの立ち入りが「一線を越えた」と主張していることです。ハマスが占領とエルサレムにこだわっていることが分かります。

 奇襲後の10月12日には、カッサム旅団の報道官アブー・ウバイダが新たにビデオを公開します。これは事後に撮ったものと思われますが、そこで語られたロケット弾等の発射数は実際と合っている。そして、イスラエル軍の監視ネットワークの穴を狙って攻撃をし、日付については気象条件などを考慮したなどとある。

 さらに、アブー・ウバイダは重要なことを言っています。今回の作戦は2021年5月に行われた「エルサレムの剣」という軍事作戦が終わった後から計画した、と。ハマスの言葉を信じれば、10月7日の襲撃は、21年5月から練られていたものだということです。ただ、問題の根本にあるパレスチナ占領やエルサレムという聖域への脅かしは、もっと前から続いているものです。

 05年にイスラエルはガザ地区から入植地を撤去した後、封鎖体制を強化していき、07年6月にハマスによる実効支配が始まると、ほとんど完全封鎖するようになりました。その翌年、08年の1月に、エジプトとガザ地区の境界線にあるラファという検問所の近くの壁がハマスなどの武装勢力によって破壊され、パレスチナ人約70万人がエジプト側に流入するという出来事がありましたが、このときエジプトは不法越境者の摘発と国境線の防衛を強化しました。皮肉なことに、ガザの封鎖は同じアラブ諸国であるエジプトによって完成されたのです。

 その10年後の18年3月30日から半年近く、「帰還の大行進」と呼ばれる抗議運動がガザ地区でありました。今度はイスラエルとの境界線に向かってパレスチナ人が数万人規模で非武装の行進をしたのですが、この間、デモ参加者はイスラエル軍から殺傷能力を高めた弾丸による「警告発砲」を受け、3万人以上が負傷し、200人近くが命を落としました。これでもガザの封鎖は解かれず、国際社会も目を向けなかった。このときに世界で話題になっていたのは、トランプ大統領がイスラエル建国70周年を祝って、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すというニュースでした。

 最近もイスラエルとアラブ諸国との融和ムードがあり、ガザへの国際社会の関心が薄れていた。23年の年初には、ネタニヤフと連立を組んでいる「ユダヤの力」という政党の党首でトランプばりの放言で知られる政治家のイタマル・ベングビールがアル=アクサ・モスクを強行訪問し、大混乱が起きました。こうした流れの中でハマスは追い詰められ、これしかないと奇襲に及んだのではないかと思います。

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