テクノ・リバタリアンと"敗者"の奇妙な共闘
メリトクラシーに "見捨てられたひとびと"
2016年にイギリスの国民投票でEUからの離脱を求めるブレグジット派が勝利し、次いでアメリカで稀代のポピュリストであるドナルド・トランプが大方の予想に反して大統領に選出されると、この政治的大事件を引き起こした要因として非エリートに注目が集まった。
アメリカでは2012年に政治学者のチャールズ・マレーが、膨大な社会調査のデータから、白人中流階級が学歴によって「上流」と「下流」に分断されていることを指摘した。マレーは1994年の『ベルカーブ』(リチャード・J・ハーシュタインとの共著)で人種におけるIQ(知能指数)のちがいを指摘したことで「レイシズム(人種主義)」のレッテルを貼られたが、分析の対象を白人に限定することで、経済格差の原因は「人種」ではなく「学歴」、すなわち「知能」だと主張したのだ(学歴とIQにはきわめて高い相関関係がある)。
「知識社会における経済格差は、知能の格差の別の名前」という不愉快な事実は長らく無視されてきたが、トランプ現象を機に流れが変わる。学歴を考慮せずにこの現実を説明することができなくなったからだ。
ノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートンは妻のアン・ケースとともに、(コロナ前は)すべての先進国で平均寿命が延びていたにもかかわらず、アメリカの白人労働者階級でだけ平均寿命が短くなっている不可解な現象を詳細に検証し、これを「絶望死」と名づけた。ディートンとケースは、マレーを先行研究としてあげつつ、低学歴(非大卒)の白人たちが、銃による自殺、薬物の過剰摂取、アルコールによる肝疾患で若くして死んでいくことを明らかにした。
その後、「白熱教室」で知られる哲学者で、ハーバード大学教授であるエリートのマイケル・サンデルが、エリートによる「メリトクラシー」が白人労働者階級を絶望死に追い込んでいると主張しはじめた。このようにしてアメリカでは、リベラルの知識人たちが「レイシスト」であるマレーの研究を追認し、エリート支配による「グローバル資本主義」を批判するようになった(サンデルは、自分の主張がマレーの研究に依拠していることを隠しているが)。
ところで、なぜメリトクラシーが格差を拡大させるのだろうか。
身分や生まれによって社会における地位が決まっていた前近代から、啓蒙主義とフランス革命を経て、すべての人間は平等な人権をもつことになった。だがそれでも、組織を運営する以上、誰を採用し、誰を昇進・昇給させるかを決めなくてはならない。このとき、人種、性別、性的指向や性自認など、本人の意思では変えられない属性を基準に選別することは差別として禁じられ、それに反すると大規模なキャンセル騒動を引き起こしたり、多額の損害賠償を請求されたりする。
そこで唯一公正な基準とされたのが「学歴・資格・実績」で、これらの"メリット"は努力によって誰でも(その気になれば)獲得できるとされた。このリベラリズムの原理によって社会を運営するのがメリトクラシーだ。
誰もが気づいているように、遺伝的多様性がある以上、「やればできる」はたんなる"きれいごと"にすぎない。だがそれを認めるとリベラルな社会が成り立たなくなってしまうので、この事実はずっと抑圧されてきた。しかし知識社会が高度化するにつれて、徐々にこの矛盾を隠蔽することが難しくなってくる。
このようにしてモノリンガル族やサムウェア族が、「リベラル化・グローバル化・知識社会化」の潮流から"見捨てられたひとびと"として可視化されるようになったのだ。