ウクライナ戦争が正教会へ落とす影

- 形容詞なしの「正教」
- 「地方教会」という多頭制の教会組織
形容詞なしの「正教」
「ロシア正教」「ギリシャ正教」「東方正教」――。日本語で正教関連の書籍を探すと、複数の「正教」という呼称が登場する。その違いが明確でないため、戸惑う読者も少なくないだろう。
まず、もっとも具体的な地名を伴う「ロシア正教」から見てみよう。山川出版社の世界史用語集を紐解くと「ギリシア正教会本山の地位についた教会。14世紀にモンゴルの侵攻を受けて荒廃したキエフから主教座がモスクワに移され、ビザンツ帝国滅亡後はその権威を継承した」とある。ここでまた謎に行き当たる。「ギリシャ正教」とはなんだろうか。
ややこしいことに、「ギリシャ正教」には大別して二つの異なる意味がある。ひとつは、「ギリシャ」と聞いて思い浮かべる国、ギリシャ共和国の中の正教会という意味で、英語ではChurch of Greeceと表記され、アテネ大主教座を頂点とする宗教組織を指す。もうひとつは、英語でGreek Orthodox Churchと呼称されるところのもので、実はここにも複数の意味があるのだが、本稿ではコンスタンティノープル総主教座を筆頭とした複数の地方教会から構成される、信仰を同じくする共同体を意味するということを指摘するにとどめよう。ちなみに用語集で「本山」とあるのは、ロシア正教会が正教世界を構成する一独立教会として認められたことをこのように称しているのだろう。
「東方正教(Eastern Orthodox)」とも呼ばれるキリスト教の一宗派は、395年の東西ローマ分裂後、ビザンツ帝国を中心に発展した。ちなみに「東方」とは、西方のローマ・カトリック教会から見た時の呼称である。ではなぜそれを「ギリシャ」と形容するのかといえば、これも西方教会がラテン語を典礼語(礼拝の時に用いられる言葉)としたことによる対比だ。ビザンツ帝国では古典ギリシャ語が典礼語として用いられることが多かったから、カトリックとは異なる形で発展したその祈りの儀礼は「ギリシャ典礼」とも呼ばれた。形容詞なしの「正教」は、ギリシャ語では「正しい信仰」や「真の賛美」を意味し、これがスラヴ諸語をはじめとする他の言語にも翻訳されて広がった。ちなみに、正教会では典礼のことを「奉神礼」と称する。
このように、西方教会(ラテン教会)との対比において、さまざまな形容詞が冠されてきた正教信仰であるが、その揺籃(ようらん)の地であるビザンツ帝国は、西ローマ帝国滅亡(476年)後も、自らを形容詞を要さない普遍的なローマ帝国と自任していた。帝都コンスタンティノープル(Constantinople)は「新しきローマ(Nova Roma)」を称し、皇帝は「ローマ皇帝(Imperator Romanorum)」の称号を帯びた。「ローマはすなわち世界であり、コンスタンティノープルはその中心である」という自意識は、現代においてもコンスタンティノープル総主教座(Ecumenical Patriarch)が「全地総主教」を名乗る事実に継承されている。