伊藤 聡 男らしさとスキンケアの相克――1990年代と現在の断層をめぐって

伊藤聡(ライター)

本当は苦手だったこと

 ノートをめくってみると、「本当は苦手だったこと」に関するメモが多く見つかる。たとえば、学校や職場など女性が複数いる場所では必ずと言っていいほど発生する、「お前はどの女の子がいい?」という男性同士の品定め。私はあれが本当に苦手だった。男性の多くは、きっと似たような経験があると思う。

「あの3人のなかで、もし一人を選ぶなら......」という身勝手な品評会が始まると、なるべく自分に話題が振られないように会話を避けた。そんな下品な話に加わりたくない。「何でこっちが選ぶ立場だと決まってるんだ」という疑問もある。

 ところが多くの男性は、この手の品定めがやけに好きなので困ってしまう。あまりに何度も経験したので、男性が集まればこういう品評会は当然起こるものなのだと半ばあきらめていた。

 場の雰囲気を壊さないため、仕方なく「一人を選ぶとしたら、Aさんかな」などと答えてはみるものの、名指ししてしまったAさんに対して申し訳ない気持ちになる。男性のなかには「あの子は化粧が濃い」「オレはナチュラルメイクが好きだ」などと注文をつける者も多くいたが、これも後味の悪いものだった。あきらかに、身だしなみを整える難しさや工夫を知らない者の意見だ。

 その後、自分が美容の勉強をすることになり、そこでようやく「ナチュラルメイク」がどれだけの工夫と研究の上に成立しているかを知ることとなる。実のところ、「ナチュラルメイク」はハイレベルな技巧を凝らして成立する「作られた自然」であって、ナチュラルでも何でもないのだ。こうした品のない会話はまだ完全になくなったわけではないが、少しずつ減ってきてはいるように思う。

 また、1990年代のお笑い芸人に特徴的な、相手の容姿や身体的欠点をネタに笑いを取る手法も当時から苦手だった。失礼なことを面と向かって堂々と言ってしまう態度が逆におもしろい、という攻撃的な笑いは、テレビのなかだけならばまだよかったが、番組を見た人たちが日常生活で同じような会話を真似し始めてしまい、かなり辟易したのを覚えている。

 90年代の人気お笑い芸人やテレビ番組の影響力はすさまじく、人びとのコミュニケーションの作法を一気に変えてしまうほどだった。

 相手から面と向かって容姿に関するきわどい指摘をされるのが恥ずかしかったし、思わずこちらが黙り込むと「冗談が通じない」と私の落ち度のように言われてしまうのも理不尽で嫌だった。

 一方的に失礼なことを言われている立場なのに、こちら側がうまい具合にその冗談を切り返して場をなごませなくてはならないという責任が生じてしまう。なぜ私が悪くなりそうな雰囲気をリカバリーしないといけないのか。容姿をネタにされる状況がプレッシャーだったことを覚えている。

 身近な人たちから気分が悪くなるようなからかいをたくさん受けたし、それを笑って受け流さなくてはならない状況も苦い思い出となった。私自身、冗談を受け流せない自分が悪いような気がしていたのだ。

 令和になり、お笑いの世界でも「容姿の揶揄は古い」という認識がかなり広まってきたし、日常生活で誰かのルックスを冗談にするような残酷な光景はほとんど見かけなくなった。それだけでほっとしている。つくづく時代が変わったのだと思う。

(続きは『中央公論』2023年5月号で)

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伊藤聡(ライター)
〔いとうそう〕
1971年福島県生まれ。映画や海外文学に関する寄稿やラジオ番組への出演など多数。著書に『生きる技術は名作に学べ』『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』がある。
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