福島原発とともにメルトダウンした菅政権

長谷川幸洋(東京新聞論説副主幹)

復興構想会議に丸投げ呆れた「政治主導」

 メルトダウンした政権は、もはや重要政策を動かす意思もなかった。本格的な復興対策を裏打ちする二〇一一年度第二次補正予算案の提出は、会期を一ヵ月半も残した五月の連休中に早々と臨時国会への先送りを固めてしまった。

 喫緊の最重要課題が被災地復興であることに議論の余地はない。国民の命と暮らしを守る。これができなくて、政治家が職責を果たしたと言えるのか。菅政権は自分が決めた東電賠償案も閣内不一致を隠せず、国会提出を先送りしようとしている。

 東電の先行きは見通せない。銀行は東電が結局、破綻するとなれば、水面下で返済期限の来た融資を引き揚げる可能性が高い。そうなれば東電から資金が流出する。結果的に賠償に回す資金が減って、打撃を被るのは数万人に及ぶ被災者である。政権が政治から逃亡したツケが被災者に回る。菅政権の存続自体が被災者に二重の「政治災害」をもたらすのである。

 私は五月中旬にもっとも被災が激しかった地域の一つ、宮城県石巻市にある石巻市立病院を訪ねた。病院に人影はなかったが、壁には避難者リストの張り紙が残り、患者や医師たちが一斉に退去した直後の姿をとどめていた。浸水した一階は完全な廃墟、二階は暗闇に包まれ、三階以上には枠だけのベッドやマットが散乱している。医療拠点が崩壊した中、残った人々は街を去るか残るか、苦しい決断を迫られていた。

 水産加工業者たちは震災から二ヵ月を過ぎても復興計画が決まらない中、同じ地で再建に動いていいものかどうか、設備投資に踏み切れないでいた。まさに地域の生活基盤をどう立て直し、産業をどう再建するのか、政権の姿勢が問われていたのだ。

 菅政権は「復興構想会議の報告ができるのを待って二次補正を編成する」と唱えている。そういう姿勢こそが政権のあり方として根本的におかしい。

 民主党政権はそもそも「脱官僚・政治主導」を掲げて、〇九年総選挙に大勝し成立した政権である。政治主導を実現するための仕掛けとして新設したのが、国家戦略室と国家戦略大臣だった。

 被災地を新たなモデルタウンとして復興し、明日の日本の姿を先取りする。そんな菅首相の意気込みを額面通り受けとるなら、復興策づくりこそ本来、国家戦略室の仕事ではないか。ところが、国家戦略室はまったく機能を停止していた。

 四月末にテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ!」で同席した平野達男内閣府副大臣が国家戦略担当の副大臣と知って、私はCM中にスタジオで平野に「国家戦略室はいったい、なにをしてるんですか」と聞いてみた。すると平野は「この一ヵ月半、まったく開店休業状態です」と率直に打ち明けた。岩手県出身の平野は副大臣というより、政府の被災者生活支援特別対策本部副本部長として動いていた。

 玄葉光一郎国家戦略相の影も薄い。大臣は危機にどう対応したのか。いや、多くは望むまい。国家戦略室は菅が総理になった後「総理のシンクタンク」に格下げされた。それなら、せめて独自の助言があったのかと言えば、それもない。いまや完全に名前だけの国家戦略室と大臣なのだ。官僚と報酬の無駄遣いではないか。

 菅政権は内閣法を改正して、逆に大臣を三人も増やす方針を決めた。そのための改正案は通常国会に提出している。大臣の事業仕分けこそが必要なのに、さらに無駄遣いを重ねようとしていたのだ。入閣待ちの議員たちに期待を抱かせ、菅政権に忠誠を誓わせるためである。ここでも本来の「政治」がなく、政権維持の思惑だけが露骨に表れていた。

 政府が復興策づくりをしない代わりに設けたのは、「復興構想会議」だった。

 もっともらしい有識者を集めて議論させ、当たり障りのない結論を並べる。舞台裏を仕切るのは財務省をはじめとする霞が関官僚である。分かりやすく言えば、自民党時代の「審議会政治」の復活だ。だからこそ肝心の議論が始まる前に、いきなり五百旗頭真議長(防衛大学校長)の増税路線が表に出てきた。

 政治を投げ出してしまった菅政権であっても、政権にしがみつくには政策づくりにいそしんでいる姿を国民に見せねばならない。そのための仕掛けが復興構想会議だったが、具体案は財務省に丸投げせざるをえないので、出てくる結論が最初から「増税」になったのは必然である。復興構想会議はいまや「増税構想会議」になりつつある。

 東電賠償も経産省と財務省に丸投げしたものの、最後の最後になって耳触りの良い「銀行の債権放棄」を枝野が口にしたので、ぶち壊しになってしまった。政治家が政策づくりに主導権を発揮せず、官僚まかせにした挙げ句の醜態と言うほかない。

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