福島原発とともにメルトダウンした菅政権

長谷川幸洋(東京新聞論説副主幹)

政官業学報ペンタゴンがつくりだした安全神話

 政権がメルトダウンする一方で、国民は原発事故から大きな教訓を学びつつある。事故は自然災害というだけではなく、人災の側面があった。正しい安全対策があれば、事故は避けられたかもしれない、という教訓である。

 安全対策はなぜ十分ではなかったのか。ひと言で言えば、政治家と霞が関、学会、電力会社さらにマスコミも一体となって「安全神話」をつくりだしてきたからだ。いわゆる「政官業学報ペンタゴン(五角形)」の構図である。

 原発の安全監視をする原子力安全・保安院は経産省の外局になっていた。経産省は同じ外局に原発推進の旗を振る資源エネルギー庁を抱え、歴代幹部は何人も電力業界に天下っている。保安院とエネ庁は同じ官僚が行ったり来たりしている。退職後の世話になりながら、原子力安全・保安院が十分な安全監視をできるわけがない。

 内閣府の審議会である原子力安全委員会も似たようなものだ。ここには原発推進派の学者が特別職公務員として入れ替わりで陣取っていた。元委員長の一人はテレビのインタビューで「(十分な安全対策を実施するには)費用がかかる」と発言している。

 税金で年間一〇〇〇万円以上の報酬を受け取りながら、電力会社の利害を代弁していたのだ。多くの政治家は票とカネの世話になっていた。マスコミにとっても電力会社は有力なスポンサーだった。

 そうやってつくられた安全神話の下で、原発の安全対策はなおざりにされてきた。電力自由化や再生可能エネルギーを活用していく政策は形だけにとどまった。

 原子力村と呼ばれる官業学トライアングル(三角形)はいまも強固な基盤をもっている。政府が決めた東電賠償案すなわち東電温存策こそが証拠である。先に紹介した細野エネ庁長官の発言は銀行に債権放棄を求めた枝野発言を批判する内容だったが、それは銀行の金融支援が東電存続の鍵を握っていたからだ。

 政府が賠償負担せず、銀行も金融支援から手を引いてしまえば、東電はその分のコスト増を電気料金引き上げで国民に転嫁せざるをえなくなる。そうなると「国民負担の極小化」という宣伝文句がでたらめと分かってしまう。だから細野は枝野を批判したのだ。

経産省の陰湿な反撃

 私がネットの署名コラムでオフレコ発言を暴露すると、経産省は陰湿な反撃に出た。コラムを書いた当事者である私にはいっさい接触せず、苦情も反論も言わない一方、私の職場の上司に対して大臣官房広報室長が「おたくの会社は信頼できない。今後はそういう前提で対応させてもらう」と電話で抗議してきた。

 抗議を聞いた私は直ちに広報室長に事実を確認し、その一部始終をまたネットで書いた。新聞の署名コラムでは、細野発言を紹介したうえで「経済産業省・資源エネルギー庁は歴代幹部の天下りが象徴するように、かねて東電と癒着し、原発を推進してきた。それが安全監視の甘さを招き、ひいては事故の遠因になった」(五月十八日付『東京新聞』「私説・論説室から」)と書いた。

 すると驚いたことに、経産省は現場で取材活動をしている記者クラブの同僚記者に対して「幹部との懇談出席禁止」という制裁を科してきた。いわゆる「出入り禁止処分」である。

 サラリーマンなら分かるはずだ。「上司に文句を言った。お前の出世に響くぞ」「同僚も『処分』した。仲間ともめるぞ」。会社の縦と横の関係を利用して、真綿で首を絞めるように私に無言の圧力をかけたのである。

 論説委員が書いた署名コラム原稿の内容が気に入らないからといって、現場の記者の取材活動を制限するとは聞いたことがない。上司への抗議電話といい同僚記者への取材制限といい、私の言論活動に対する「会社組織」を利用した圧力にほかならなかった。

 話が出た論説委員懇談会には数十人の委員たちが出席している。なかば公然だ。こうした場での「オフレコ」とは、官僚が姿を隠して都合のいい相場観を広めたいときに使う常套手段である。官僚が勝手にオフレコと言った話に、記者が必ず同意しなければならない理由はない。そもそも、なぜ本人に文句を言ってこないのか。経産省の過激な反応は、それほど東電存続が役所の重要課題になっていた事実を示している。

 もっと驚いたのは、実はコラムに対する読者の反応だった。

 三本のコラムがネットに掲載されると、読者がツイッターでコラムに寄せた反応は一週間で累計一万通を超えた。私自身も途中からツイッターを始めたが、私の発信を読むフォロワーは三日で七〇〇〇人を超えた。ほぼすべてのツイート発信が記事を支持し、経産省の対応を厳しく批判していた。

 これは、なにを物語っているのか。

 単に記事内容を支持しただけではない。地震と津波、原発事故という大災害を通じて、多くの人々が菅政権や東電の対応や情報公開に不満を抱き、不信感を募らせていた。それがコラムをきっかけにツイッターを通して爆発したのだと思う。

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