どじょう宰相の言語力を診断する

東照二(立命館大学大学院教授)

「政・官・業の癒着を断ち切り、行政改革を断行し、少子高齢化と格差拡大の不安の時代に、そして食糧やエネルギー自給率が脆弱な日本の経済構造を根本から改革する」。当たり前だ。こんなことばなら、誰でもいえる。そうではなくて、私たちが期待しているのは、個々の政治家の心情、価値観、思いが埋め込まれた、非政治的、日常的な私たちのことば、わかりやすく端的に、しっかり記憶に残ることばなのだ。長くなくていい。いやむしろ、短ければ短いほどいい。それをきわめて効率よく達成するのが、メタファー、それも二元論的なメタファーなのである。

 もっとも、野田の演説を魅力あるものにしたのは、ただ単に、どじょうのメタファーのゆえ、というわけではない。どじょうに注目しがちだが、それだけではないのだ。

その二 自己開示のストーリー

 私たちは、フォーマルな、公的な話にはあまり惹かれない。むしろ、インフォーマルで私的な話に惹かれていく。そして、これはざっくばらんな、仲間内でお茶をするようなリラックスした場面でだけでなく、両院議員総会のようなきわめてフォーマルなまじめな場面でさえ、そうなのだ。特に、話し手の個人的な顔が出てくるような話、それも物語風に語られる話に、思わず引き込まれていく。

 野田の演説は、この自己開示のストーリー(自分のことをストーリーにして話す)がほとんどを占めている。ちなみに、政治関連用語(たとえば戸別所得補償、資金繰り支援、行政改革推進など)が使われている箇所が、演説の中でどれくらいあったのか調べてみると、文数で一〇文、字数で約三七〇字にすぎない。これは、全体の文数の七%、字数の五%になる。つまり、野田の演説には、政治家の演説に予想される、ありきたりの政策の話は全体の一割にもみたない。むしろ、野田個人の顔をまさに彷彿とさせるような生い立ち、家族、経験、感情が九割以上を占めていたということになる。これは驚くべきことだ。政治家の集まりで、当然、期待される政策の話はほとんどなく、政治とは直接関係のない話、ストーリーを語るという、ほかの候補者とは全く違った、いわば大博打に出たのが野田であり、それが見事、功を奏したのが、野田の演説であったといえるだろう(馬淵澄夫候補にも、若干、この傾向がみられた)。

 そのストーリーとは、農家の末っ子同士であった両親のトランクの上での食事、プロレス、白黒テレビ、ケネディの暗殺、時代小説、柔道、辻説法、一〇五票差という日本一の僅差での落選、三年八ヵ月の浪人生活、資金集め、自分の子供の髪の毛の匂い、などなど、いずれも野田の個人的な背景、経験、思いを彷彿とさせるエピソードだ。考えてみると、これらは政治そのものとは直接なんら関係がない。しかし、そこがポイントなのだ。この野田の自己開示のストーリーに聞き手は引き込まれていく。たとえば、落選中の思いを語る場面で、野田は次のように述べる。

「この浪人のときに私はあらためて、一〇五票差ですから『なんであの人たちは、あの日旅行に行っちゃったんだろう』とか、『なんであの地域、もっと強く入らなかったんだろう』、百八つの煩悩ばっかり出てきて、天井を見ると眠れない日々が続きました」

 議員にとって、最大の関心事の一つは、選挙での再選・落選であろう。落選中の野田の切々たる思い、心情、内面の吐露を聞いて、自分にも大いに起こる(起こりうる)と感じた聞き手がほとんどではなかっただろうか。

 もっとも、厳密にいうと、話し手が自分の個人的な経験を語る、というだけでは人は惹きつけられない。下手をすると、あまりにも個人的な独りよがりの話、あるいは自慢話に終わってしまう可能性があるからだ。野田の場合は、そのストーリーが、会場を埋め尽くす民主党議員一人ひとりが、自分のこととして関連づけて聞くことができるストーリーであったということだ。つまり、野田は自分の話をしているのだが、実はそれは、聞き手のことを話している、ということにもつながっていく。

 要は、聞き手が、自分のこととして関連づけて聞くことができるような自己開示のストーリーであるかどうかだ。これをわかりやすくするために、野田と逆のケースとして、海江田の演説をみてみよう。いかつい緊張した面持ちで、硬い演説をする海江田だが、珍しく、自己開示のストーリーらしきものを入れている。それは次の一節だ。

「私は、東京生まれの東京育ちでございますが、一番心が和むのはやはり地方に出かけたときであります。私の父のふるさとは鹿児島でございます。今は亡くなってしまいましたから、戻る機会も少なくなりましたが、父のふるさとの鹿児島に戻りますと本当にほっといたします。空気がきれいだし、水がおいしい。もちろん食べ物もおいしい。それから鹿児島は焼酎ですね。これがあれば本当に私は人生の充足感を感じます」

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