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どじょう宰相の言語力を診断する

東照二(立命館大学大学院教授)

 この点、野田は(馬淵とともに)明らかに他の候補者と違っていた。ずっと、原稿などにたよらず、まさに堂々と正面を向いて語りかけるその姿勢は、野田の信憑性、本物さを聞き手にはっきりと視覚的に植えつけることになったといえる。

 さらに、緊張度のあまりにも高い演説も、逆に余裕のない、張りつめているような、不自然で作り上げた演説という印象を与えてしまいがちだ。たとえば、海江田は終始こわばった表情で、少し前髪を乱しながらの姿は、国会答弁で思わず慟哭してしまった、あのつぶれてしまいそうな、自分を冷静にコントロールできない海江田を連想させてしまう。演説は、もちろん、真剣であらねばならない。しかし、その中にも一服の清涼剤となるような、ちょっとしたユーモアがあると、不自然な演説をより自然で、信頼しやすい演説へと変えることにもつながる。この点、野田の演説には、ほかの候補者と違い、思わず聴衆からの笑いを誘うようなことばが三ヵ所出てくる。たとえば、「政界に入った今も寝技は苦手です」といい、柔道の寝技と政治の寝技をかけていう場面だ。日本の政治演説では、ユーモアの占める割合は極端に少ないが、ユーモアはその場を和ませ、話し手と聞き手の心理的距離を少なくし、話し手をより自然で生身の人間として提示するための効果的な方法だといえるだろう。

 さて、それではこの成功した「どじょう」演説のあと、首相となった野田はどのようなことばで国民に語りかけたのだろうか。次に、所信表明演説をみてみよう。

泥に埋もれてしまったどじょう 残念な所信表明演説

 代表選で人々を惹きつけた「どじょう宰相」。当然ながら、首相となった野田の演説に期待が集まる。しかしながら、その三五分にわたる演説は、一言でいうと「期待はずれ」、それは私たちの心を揺り動かし、政治への希望を抱かせる演説とは程遠いものであったといえる。やはり、どじょうは、しょせん、どじょう。表舞台に現れた途端、泥の中に埋もれてしまう運命にあるのだろうか。
 もっとも、演説冒頭では、野田らしさがなかったわけでもない。それは、東日本大震災で住民に高台への避難を呼び掛け続けた南三陸町の防災職員、遠藤未希さん、さらには、自分の家族を亡くしたにもかかわらず、豪雨対策の陣頭指揮を執り続ける那智勝浦町の寺本真一町長などのストーリーをひきながら、日本人の「気高き精神」について述べていく箇所だ。歴代首相が好んでよくとりあげる歴史上の偉人たちの話ではなく、ごく普通の市民、それも個人名をあげながら、具体的でまぶたに浮かんでくるような話から、抽象的、観念的な「気高き精神」へと語りを発展させていく。ストーリー、具体から抽象への発展、進化といった「どじょう演説」でみてきた演説の要諦がここにはある。しかもポイントは、これは話し手である野田の「気高き精神」ではなく、聞き手である私たち日本人の心の中にある(あるいはあってほしいと願う)私たちの思い、価値観、誇り、希望を語っているという点だ。私たちが惹かれるのは、最終的には、その政治家の価値観、信念、歴史観の詰まったことばである。それは多くの政治家が考えるような、個別の細かい政策の話ではないのだ。

 しかしながら、野田は冒頭のせっかくの盛り上がりを無に帰すかのように、各省庁、党内事情、政局などを意識した細かい政策を羅列する、旧態依然とした演説に戻ってしまう。しかも残念なことに、歴代の首相と比較しても、野田の演説は個性の全くみえてこない、玉虫色の演説に終わってしまっている。

 たとえば、小泉には「恐れずひるまずとらわれず」「聖域なき構造改革」ということばから発せられる強烈な覚悟があった。続く安倍には、(あまりにも)頻出するカタカナ語(「イノベーション」「カントリー・アイデンティティ」など)からの新鮮さ、若々しさが感じられた。政権交代した鳩山には、「あの暑い夏の日々」を思い起こし、「人」「文化」「新しい」を多用する、「コンクリートから人へ」のメッセージ性が強く感じられた。

 ところが、野田には、私たちの想像力をかきたて、政治への期待、希望を再び呼び起こすようなことばはみあたらない。強いてあげれば、「正心誠意」が野田のメッセージだろうが、このことばは演説で二回出てくるにすぎない。そこには何ら発展性もなければ、インパクトもない。
 周囲に気を使い、ひたすら深くお辞儀をするだけの首相では長続きしないだろう。泥に埋もれてしまった、ただのどじょうではいけない。金魚になる必要はないが、金魚的要素を持ったどじょうにならないといけない。代表選でみせた野田の言語力も、金魚鉢の中に入れられたどじょうが、その行き場を失いつつあるかのように、首相という立場になると、途端に、翳りがみえてくるのだろうか。野田政権の行く末を暗示しているのかもしれない。

(了)

〔『中央公論』2011年11月号より〕

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