国家の危機を好機に変えたデジタル先進国

DX後進国・日本に「電子政府」は実現するのか(第1回)
中野哲也(リコー経済社会研究所研究主幹、日本危機管理学会理事長)
連載:DX後進国・日本に「電子政府」は実現するのか(写真提供:写真AC)
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は世界各国に難題を次々に突き付けた。国民の生命と財産を守るという国家の基本機能が問われる中、危機管理の明暗を分けたのが行政デジタル化、つまり「電子政府」への取り組みである。

欧州各国や韓国などデジタル先進国は比較的うまく対応している。これに対し、日本は10万円の特別定額給付金をめぐる混乱に象徴されるように、デジタルトランスフォーメーション(DX)において後進国ぶりを露呈。政府も「デジタル敗戦」(平井卓也デジタル改革担当相)を認めざるを得ず、今年9月のデジタル庁発足を契機に「周回遅れ」を一気に挽回しようと必死だ。しかし、国連の電子政府ランキング(電子政府開発指数=EGDI)で上位のデジタル先進国も、決して一朝一夕に電子政府の基盤を確立したわけではない。過去に国家存続の危機に直面した際、それを乗り越えるために電子政府化に取り組み、地道な努力を続けてきたのだ。

連載第1回ではデジタルによって危機を好機に変えたエストニア、韓国両国の事例を紹介する。

エストニア「逆転の発想」で住民登録制度を構築

2020年の電子政府ランキングで3位のエストニアは、バルト三国の1つで大国ロシアと国境を接する。

面積は4.5万平方キロで九州とほぼ同じだが、人口は133万人とさいたま市と同程度。つまり人口密度が低いため、フェイス・トゥ・フェイスの行政サービスを国土均一に提供することは難しい。このハンディキャップを克服するため、電子政府化を積極的に推進してきたという事情がある。

だがそれ以上に、電子政府に取り組まざるを得なかった理由が存在する。それは地政学的な条件であり、外国による「占領」を余儀なくされてきたのだ。

エストニアの首都タリンは13世紀にデンマーク王に占領され、14世紀にはドイツ騎士団に売却された。さらにスウェーデン領を経て、16世紀には帝政ロシア領に編入。ロシアが日露戦争に敗れた後、エストニアは1918年に悲願の独立を果たすが、1940年に再びソ連に支配されてしまう。

当時のソ連は不凍港を持つタリンを軍事研究拠点に位置付け、人工頭脳学などを研究する「サイバネティクス研究所」を設立。モスクワとの通信を目的にネットワーク技術の開発も加速させた。東西冷戦下で米国との技術開発競争が激化する中、ソ連にとってタリンは今の米シリコンバレーのような性格の都市になる。

ソ連崩壊後の1991年、エストニアは再独立を果たすが、ソ連統治時代からの物資不足に苦しんだ。

事務用紙も満足に確保できなかったが、エストニア政府は「逆転の発想」で国家の危機に立ち向かう。紙を使わず、電話回線を活用したインターネットに着目し、独立国家の基礎となる「住民登録制度」を構築したのだ。

こうした行政デジタル化には、先述したサイバネティクス研究所の技術者という「遺産」も大いに貢献したという。また、ハードだけでなくソフト面への配慮も怠ることなく、個人情報などの基本的な取り扱い方針を定めた「データポリシー」を1993年に制定。電子政府先進国への道を歩み始めた。

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