エリート層が労働者を見下す「能力主義の圧政」を 乗り越えよ マイケル・サンデル

マイケル・サンデル(ハーバード大学教授)/聞き手:佐藤智恵(作家・コンサルタント)
Photo by Jared Leeds
 コミュニタリアズム(共同体主義)の主要な論客として知られるマイケル・サンデルは、話題作『実力も運のうち 能力主義は正義か』(早川書房)でメリトクラシーの議論について切り込んだ。その狙いや日本社会との関連などについて作家・コンサルタントの佐藤智恵氏が話を聞いた。(『中央公論』2021年6月号より一部抜粋)

今なぜ能力主義を議論するのか

佐藤 貴著『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』は日本の読者に大きな影響を与えました。「正義」「市場主義」に続いて、今回「メリトクラシー(以下、能力主義)」に焦点を当てた理由は何ですか。

サンデル 『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)は前二著の延長線上にあります。近年、多くの民主主義国家で、格差の増大と社会の二極化が進み、人と人とを結びつけていた社会的絆が損われてきました。このような状況がいかに生じたのかを政治思想の観点から分析したいと思ったのです。

 過去四〇年にわたって民主主義社会に深く浸透してきた考え方に、能力主義(個人の能力や功績によって社会的地位が決定されること)があります。能力主義を主題としたのは、人を「能力」や「功績」で分ける考え方がいかに社会の分断の大きな要因となっているかを、伝えたかったからです。能力主義の問題は、社会を「勝ち組」と「負け組」に二分化してしまうことです。

 能力主義の「功績」の中でも特に分断の要因となっているのが学歴です。大卒と非大卒にすみ分けられた社会の中で、非大卒の人たちは「自分たちの仕事は社会から尊重されていない」「私たちは大卒エリートから見下されている」と感じるようになりました。

 この学歴偏重社会で尊厳を傷つけられた人たちの怒りや恨みの感情が、トランプ前大統領を生み出すことにつながりました。多くの非大卒の労働者がトランプを支持したのです。

 このような動きはヨーロッパ各地でも見られます。イギリスはEUを離脱しましたが、その要因となったのも労働者の怒りや憎悪です。多くの労働者が「EUの官僚は大卒のエリートばかり。彼らは労働者の現実を理解していない」と感じ、離脱を支持しました。このような大衆の反発は多くのヨーロッパの国々で見られます。

 なぜ世界でこのような現象が起きているのか。なぜ大衆はこれほど怒っているのか。この分断を修復する方法はないのか。こうした問題の本質にある「能力主義」に迫ってみたいと思いました。

佐藤 サンデル教授が『実力も運のうち』をアメリカで出版したのは二〇二〇年九月。コロナ下で生きるアメリカの人たちに、どのような影響を与えたと思いますか。

サンデル 大きな手応えを感じています。刊行時は、新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染拡大が進み、社会の分断がより顕在化されていた時期でした。大統領選挙を数ヵ月後に控え、政治的な分断に強い関心が寄せられていた時期でもあります。

 私が提唱した「Tyranny of Merit=能力主義の圧政」(注:英語版タイトルの直訳)という概念にこれほど多くのアメリカ人が興味を持った理由は、トランプ支持者と非支持者との間の政治的な分断を目の当たりにし、その要因を知りたいと思ったからではないでしょうか。

 二〇二〇年十一月の大統領選挙で、従来のトランプ支持者は一貫してトランプに投票しました。パンデミックが彼らの支持を変えることはありませんでした。トランプがコロナの感染拡大に対して、どれだけひどい政策を行っても、憲法上の規範に違反しても、彼らの支持は変わらなかったのです。

 バイデン政権になっても、社会も政治も分断されたままです。トランプは選挙に敗れましたが、その考え方が否定されたわけではありません。今年一月、大統領選挙の結果を確定する連邦議会の合同会議の最中に、トランプ支持者らが議事堂を一時占拠する事件が起きました。彼らはトランプの敗北を信じていませんでした。票が操作された不正選挙であり、「選挙は盗まれた」と信じていました。社会の亀裂は取り返しがつかないほど深くなっていました。

 この分断を生み出しているのが能力主義なのです。それはエリートと非エリートを分断し、互いに対話しあう機会さえ奪ってしまいます。十分な教育を受け、恵まれた環境にいる人たちは能力主義社会の恩恵を享受し、現場で働く労働者の気持ちを理解しようとさえしません。なぜ労働者がこれほど怒っているのかがさっぱりわからない、といった感じです。何よりも労働者が怒っていたのは、自分たちの尊厳を傷つけられ、見下されてきたことです。その憤怒はやがて政治的な分断へとつながりました。能力主義社会で苦しい思いをしている人たちの気持ちを政治的に利用したのがトランプだったのです。

1  2  3