エリート層が労働者を見下す「能力主義の圧政」を 乗り越えよ マイケル・サンデル

マイケル・サンデル(ハーバード大学教授)/聞き手:佐藤智恵(作家・コンサルタント)

コロナ禍で病院や企業が抱えるジレンマ

佐藤 ここからはパンデミックにおける正義についておうかがいします。日本ではコロナ病床の逼迫が続き、一般人が救急車で搬送されても簡単に入院できない状況が多々あります。その要因の一つと言われているのが「病院にとってコロナ患者はコストがかかる」ことです。病院が経済的な利益をもとに、受け入れる/受け入れないを決めてもいいのか、議論になっていますが、サンデル教授はどう思いますか。

サンデル その議論には大変興味があります。日本の人たちが今どんなことを「議論」しているのか、もう少し詳しく教えてもらえませんか。

佐藤 論争のきっかけになったのは、今年の初め、病床が逼迫していた時期に、政治家などのVIP患者が「すぐに入院した」というニュースが流れたことです。一般人は救急車で搬送されてもたらい回しにされるのに、おかしいのではないかと。病院が患者の社会的地位や収入で、受け入れる/受け入れないを決めてもいいのか、と今も議論になっています。

サンデル それはとても難しい倫理的ジレンマですね。その問題に対して、私ならこう考えます。営利事業者である民間病院が一般患者よりもVIP患者を受け入れたい、という動機はわかります。VIP患者は病院に多くの収入をもたらすからです。コロナ患者の治療によりコストがかかるならなおさらです。しかし、ここで問わなくてはならないのは「病院は何のために存在しているのか」。これは「正義」に関わる問題なのです。

 病院の存在目的は他の民間企業と同様に利益をあげることだ、と考えれば、VIP患者を優先することは理にかなっています。ただ、次のようなケースを考えてみてください。ある裕福な人に風邪のような症状が出始めた。その人はコロナに感染していたら大変だと心配し、多めにお金を払うといって特別に入院させてもらった。しかし結果は陰性で、診断は軽い風邪だった......。彼が無理やり入院したせいで病床が埋まってしまい、本当に入院しなければならない重篤な患者を病院が断っていたとしたらどうでしょうか。もし「裕福な患者にホテルのようなサービスを提供し、お金を儲けること」が民間病院の存在目的だとしたら、この行為は正しいことになりますが、本当に正しいのでしょうか。

 どの病院関係者に聞いても、「そんなことのために病院があるわけではない」と否定するでしょう。「病院の存在目的は、患者の病気や怪我を治療し、健康を増進するためだ」と言うでしょう。しかし、もしそれが本当に病院の存在目的だとすれば、どの患者を先に受け入れるかという判断は、患者の病気の重篤性によって決めるべき、という結論になります。患者の社会的な地位や収入によって決めるべきではないのです。

 さて、理想はそうかもしれませんが、これを実現するのはなかなか難しいことは承知しています。先ほどのような倫理的ジレンマに陥ってしまうのは、利益を出さなければ、病院そのものを維持できなくなり、多くの病院関係者が職を失ってしまう恐れがあるからです。

 しかし正義の観点から言えば「何のために病院は存在しているのか」という問いに立ち返らなくてはなりません。人間としてどちらが正しいのか。病院の利益を追求するのか、それとも患者の命を優先するのか。多くの医療関係者がこのジレンマに直面していて、まさに病院の存在意義が問われていると思います。

 アメリカでは、「病院がその存在目的を正しく実現するためにも、政府や公的機関がもっと医療分野に資金を投入しなければならない」という主張も出てきて、今も病院の存在意義をめぐる議論が続いています。

佐藤 次に、企業における「正義」についておうかがいします。コロナ禍で苦境に陥った日本企業が最も悩んでいるのが解雇・人員削減の問題です。企業の存続のためにはどうしても人員を削減しなくてはならない。倒産してしまえば、より多くの社員が苦境に陥ることになる。しかしコロナ禍の今、社員や契約社員を解雇すれば、その人たちが経済的につらい境遇におかれることはわかっている。果たして解雇・人員整理は正義なのか。この問題についても、病院と同じように「企業は何のためにあるのか」を考えることが大切ですか。

サンデル そのとおりです。ところで日本企業はこの倫理的ジレンマをどのように解決しているのですか。

佐藤 日本には昔から出向制度があり、企業間で助け合って危機を乗り切ろうとする動きが見られます。たとえば大きな打撃を受けている航空業界や観光業界は、他業種の企業に出向要請を出し、一時的に社員を受け入れてもらっています。トヨタ自動車がANAの社員を受け入れているのは最たる例だと思います。

サンデル 日本企業の助け合いの精神は素晴らしいと思います。アメリカ企業ではそのような協力は見られません。日本企業を見習うべきですね。

(『中央公論』2021年6月号より一部抜粋)

実力も運のうち 能力主義は正義か?

マイケル・サンデル 著/鬼澤 忍 (翻訳)

  • amazon
  • 楽天ブックス
  • 7net
  • honto
中央公論 2021年6月号
オンライン書店
  • amazon
  • 楽天ブックス
  • 7net
  • 紀伊國屋
  • honto
  • TSUTAYA
マイケル・サンデル(ハーバード大学教授)/聞き手:佐藤智恵(作家・コンサルタント)
◆マイケル・サンデル〔Michael J. Sandel〕
1953年生まれ。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。専門は政治哲学。コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者。講義の名手としても著名。主著に『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上・下)』(すべて早川書房刊)など。

【聞き手】
◆佐藤智恵〔さとうちえ〕
1970年兵庫県生まれ。92年東京大学卒業後、NHK入局。コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。ボストンコンサルティンググループなどを経て独立。主著に『ハーバード日本史教室』『ハーバードの日本人論』。日本ユニシス株式会社社外取締役などの要職を務める。
1  2  3