エリート層が労働者を見下す「能力主義の圧政」を 乗り越えよ マイケル・サンデル

マイケル・サンデル(ハーバード大学教授)/聞き手:佐藤智恵(作家・コンサルタント)

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分断を顕在化させたパンデミック

佐藤 サンデル教授は「アメリカは物流・物資面だけではなく、公衆道徳面でもパンデミックに備えていなかった」と述べています。具体的にはどのような意味ですか。

サンデル アメリカでコロナの感染拡大が始まったとき、すでに社会は深く分断されている状態でした。過去数十年の間に、取り返しのつかないほど格差は増大していました。

 パンデミックに対応するには社会の連帯が不可欠ですが、残念ながらアメリカには分断を越えて全国民が団結できるようなモラルは備わっていませんでした。そしてその後も、国民の間で連帯感や共同体意識が強まることはありませんでした。

 パンデミック下のアメリカでは「We're all in this together」(私たちは皆同じ状況下に置かれているのだから一緒に乗り切ろう)というスローガンがあちらこちらで叫ばれました。その真意は「私たち人間は誰でもウイルスに感染してしまう。富める者と富まざる者、大卒と非大卒にかかわらず、ウイルスは襲ってくる。どこに住んでいても感染するときは感染してしまう。だからお互い協力し合って、この危機を乗り切ろう」ということです。

 ところが現実はこのとおりにはいきませんでした。パンデミックという共通の危機に直面しても、「勝ち組」「負け組」は協力し合いませんでした。むしろパンデミックはこの分断をより顕在化させているのです。

 信じられないかもしれませんが、アメリカには義務化されても、マスクを着用しない人がたくさんいたのです。国民が「マスクをする人/しない人」に二分されたことは、政治的分断の象徴とも言える出来事でした。着用拒否者の多くはトランプ支持者でした。彼らは「政府がマスク着用を義務化するのも、メディアがコロナのニュースを垂れ流しているのも、トランプの再選を妨害するためだ」と信じて疑いませんでした。「パンデミックは反トランプのメディアによって捏造されたものだ」と言う人さえいました。このことからも、いかにアメリカ社会に不信が蔓延しているか、深い亀裂が入っているかがわかるでしょう。

 共同体意識の欠如は、悲惨な結果をもたらしました。アメリカは、コロナ感染症による死者数が世界で最も多い国となりました。じつに五〇万人以上もの人が亡くなっているのです。日本と比べものにならないほど多いことがわかるでしょう。

 トランプ支持者と非支持者との対立があまりにも顕著なことから、「政治的な考え方の違いがアメリカの分断をもたらしている」と思われていますが、本質をつきつめれば能力主義に行きつくのです。

佐藤 コロナの感染拡大が始まってから一年以上経ちます。分断の解消に向けて前向きな兆しはありませんか。

サンデル 面白い質問ですね。パンデミックは市民の間に様々な意見の相違をもたらしています。マスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、ワクチンの接種をめぐっての賛否両論があるのは事実です。このことがさらに分断を加速させていると言えます。

 さらに先ほども述べたとおり、コロナ禍で社会の二極化が目に見えてわかるようになりました。「自宅で仕事ができる人/できない人」に分かれ、後者は感染のリスクにさらされながらも、外で仕事を続けなければなりませんでした。

 一方で希望を持てるような変化があるのも事実です。それは前者の人たちが、後者を気にかけ始めたことです。自分たちの生活が彼らなしでは成り立たないことにようやく気づき始めたのです。

 配達員、倉庫の作業員、雑貨店の店員、保育員、トラックの運転手など。こうした現場で働いている人たちの報酬はそれほど高くなく、社会的な地位も高いとは言えませんでした。それが今では「エッセンシャルワーカー」と呼ばれ、称賛されています。ようやく社会全体が彼らの仕事の価値を認識し始めたのです。彼らの仕事の多くは学位も資格も必要としません。能力主義の観点から言えば、評価されるような仕事ではありませんでした。それが今はどうでしょうか。多くの人々が彼らに拍手を送り、心から感謝の意を表し、「ありがとう」と書いたサインを窓から掲げています。

 これが何を意味しているのかと言えば、パンデミックがエッセンシャルワーカーの報酬、尊厳、社会的な地位について広く議論を始める機会になる可能性もあるということです。

 パンデミックが、勝ち組と負け組、大卒と非大卒といった二項対立で社会を見るのではなく、「誰が共通善(社会全体のための善)に貢献しているのか」「私たちの生活を支えているのは誰か」という観点から社会全体を再認識する機会を与えているとも言えるのです。今の痛ましい状況が、とても大切な教訓を与えてくれているのです。

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