新書大賞2021 大賞受賞・斎藤幸平先生 講演動画を公開中!

民主主義は権威主義に劣るのか? コロナ下の政治体制を分析する 安中進

安中進(早稲田大学高等研究所講師)
 世界的なコロナ危機の状況下にあって、コロナ対応においては、私権制限をできる権威主義国家の方が民主主義国家より「優れている」という言説が、データを論拠に散見される。果たしてそうなのか? 早稲田大学高等研究所の安中進講師が、改めてデータを分析し、コロナ下の政治体制を検討する。
(『中央公論』2021年9月号より)

 新型コロナウイルス(以下、コロナウイルス)が世界中で猛威をふるっている。ワクチンの開発と普及にともない、予防接種の進んだ国々では収束の傾向も若干見られるが、完全な出口の展望はいまだに開かれていない。

 この未曽有の危機に際し、民主主義という政治体制のもとでは、大規模なパンデミックに機動的、能動的に対応できず、多くの死者が出ることが避けられないと悲観的に考える向きもある。実際、少なからぬ有識者が、コロナウイルスへの対応では、私権を強制的に制限できる権威主義国家の方が民主主義国家より優れている、と主張している。しかし、権威主義国家に関しては、そもそも政府が公表する陽性者数や死者数のデータをそのまま信じてよいのか、という疑いも根強く残っている。特にコロナウイルスの発生源とされる中国に対しては、感染拡大を即座に認めず、対応が後手に回り、世界中にウイルスをばらまく結果を招いたではないか、と一部から厳しく批判されている。

 はたして、民主主義国家のコロナウイルス対応は、権威主義国家の対応に比べ、劣っていると言い切れるのか。また、データの信頼性を適切に勘案した上で分析すると、権威主義国家より民主主義国家で多くの死者が出るとは、結論できないのではないか。本稿では、政治体制のみならず、データの透明性や政府の効率性などの要因も考慮に入れて体系的な実証分析を提示し、こうした問いに答えていきたい。

政治体制と死者数の関係

図1+Polity2グラフ_三校.jpg

 手始めに、政治体制とコロナウイルスによる死者数との関係を、単純に図示してみよう。図1に示した2つのグラフは、横軸に各国の民主主義の度合いを、縦軸には各国の人口100万人あたりの死者数をプロットしたものである。横軸で使用した2つの指標は、いずれも政治学の研究者の間で確立されたもので、図1左側ではPolity2スコア(マイナス10からプラス10の範囲をとり、プラス10が最も民主的な国)、右側ではMPI(0から1までの範囲をとり、1が最も民主的な国)が用いられている。一方の縦軸で使った死者数は2020年12月12日までの累積をWorldo-meterによるデータから利用した。2021年以降のデータにアップデートせず、去年時点のデータを用いたのは、各国で(様々な理由により異なるスピードで)広がっているワクチン接種の影響が混入しないようにするためである。

 さて、図1によると、どちらのグラフの散らばりを見ても、横軸上で右側に進む(より民主的な国になる)と、縦軸の数値が大きくなる(より死者数が増える)傾向が見られる。両者の関係を近似する線が右肩上がりで、相関係数と呼ばれる統計値が0・3以上0・5未満であり、緩やかな正の相関関係にあることを物語る。冒頭に挙げた、権威主義国家の方が民主主義国家よりコロナウイルス対策に優れているとの主張は、こうした結果を元にしている。

 しかし、図1からは、2つのまったく異なる解釈を読み取ることが可能である。ここでは、その2つの解釈を、経済学者のカッサンとスティーンヴールトが使った造語を借りて(Cassan and Steenvoort, 2021)、「効率的な独裁」(Efficient autocracy)と「バイアスのかかった独裁」(Bia
sing autocracy)と呼んでおく(ちなみに、政治学を専門とする研究者の間では、「独裁」は政治体制の概念として標準的に用いられなくなったが、ここでは権威主義体制と同義であると考えて差し支えない)。

 まず、「効率的な独裁」とは、民主主義が個人の自由や権利を重んじる政治体制であるため、意思決定に時間がかかる点を根拠に展開される解釈である。それは裏を返せば、独裁(=権威主義)の方が、コロナウイルスの感染拡大を防止するために人々の移動を強制的に制限する政策を発動しやすく、死者数を抑え込むことに優れ、効率的だという議論である。

 それに対する「バイアスのかかった独裁」とは、権威主義の優位性はあくまで見かけ上の関係に過ぎない、との解釈である。この解釈を支持する研究者たちは、権威主義国家は、コロナウイルスに関係するデータを操作している可能性が相対的に高く、民主主義国家より死者数を抑え込んでいる点で優位と結論するには注意深くあるべきだ、と主張する。そして、各国のデータが不自然に作成された形跡がないかを実際に検証したところ、特に権威主義国家においてデータ操作がなされている傾向が見出されると指摘している。

 しかし、カッサンとスティーンヴールトは、このどちらの見解にも与せず、権威主義国家は必ずしもデータ操作をして優位を保っているわけではないが、だからといって実際に優位なわけではない、という折衷的な立場に立つ。彼らは、民主主義国家と権威主義国家の間には、政策のみならず、様々な点で異なった傾向が見られるため、それらを考慮に入れる必要があるというのである。以下では、まさにそうした種々の要因を適切に勘案することの重要性を強調し、各国のコロナウイルス対応を分析し直していく。

1  2  3  4