民主主義は権威主義に劣るのか? コロナ下の政治体制を分析する 安中進
データの透明性を踏まえた統計分析
いよいよ本節では、OLS(最小二乗法)という標準的な統計的手法を用いて、政治体制の違いがコロナウイルスの死者数に対して影響を与えていることが見出されるか、またその影響が統計的に有意であると推定できるかを、体系的に検証する。
推定モデルには、65歳以上人口割合、一人あたりGDP、データの透明性に加えて、政府の効率性(Government effectiveness:効率的な政府は民主主義国家に多い傾向がある)、人口密度、緯度・経度、そして最初に陽性者が発生してからの日数もコントロールすることにした。上述した要因の影響以外にも、政府の対応力やデータを収集する能力、地理的に偏ったコロナウイルスの死者数などの影響を考慮する必要があると判断したからである(これらのデータは、世界銀行やジョンズ・ホプキンス大学から入手している)。なお、政治体制やデータの透明性、政府の効率性、緯度・経度、陽性者発生以来の日数といった変数以外は、分布を考慮して対数化したデータを用いる(※1)。
表はその分析結果である。モデル1は、Polity2スコアと緯度・経度などを投入しただけの基本的なモデルである。これを見ると、数値の脇に*が2つ付いており、図1で見られたように、統計的に有意な正の相関関係、すなわち、民主的であるほど死者報告数が多くなることが再確認できる(有意水準とは、大まかに言うとある事象が偶然起こるとは考えにくい、有意と判断できる基準。***は1%、**は5%、*は10%有意水準を表し、この中では1%有意水準が最も厳密であり、10%以上は、通常統計的に意味があると見なされない)。
しかし、データの透明性を含む、コロナウイルスの死者報告数に影響を与えると考えられる要因を分析に加えたモデル2では、推定結果が大きく異なる。データの透明性や政府の効率性をはじめとする他の変数が有意となっている(1%有意水準でデータの透明性は正であり、透明性が上がるほど死者数が増える。逆に、政府の効率性は負であり、効率性が上がるほど死者数が減る)が、こうしたコントロールを加えたことによってPolity2の統計的有意性が失われている(*がなくなっている)。
モデル3は、さらに陽性者数を分析に含めているが、モデル3も2と同様に、データの透明性は正、政府の効率性は負が1%有意水準であり、一貫した関係が見出される。つまりこれらが意味するのは、過去に透明性が高いデータを公開してきた国々ではコロナウイルスの死者数が多くなり、逆に、政府の効率性が高いと死者数が少なくなるということである。そして、こうした要因を考慮すると、民主主義や権威主義と死者数との相関関係は見出せなくなるのである。
また、モデル4から6までは、政治体制の指標をPolity2からMPIに替えたものであり、結果はほぼモデル1から3と変わらない。これらの変数において、正の相関が一貫して見られるのは、データの透明性のみである。透明性の高いデータを公表できる政府とは、行政能力が全般的に高いことを意味するとも考えられるが、政府の効率性をコントロールした上でも、データの透明性が頑健な影響を及ぼしていることが分かる。モデル2に示された係数0・405から四分位範囲と呼ばれる変数の範囲を利用して、効果の大きさを計算すると、データの透明性が増すだけで死者数の報告が約1・7倍増えると考えられる。
念のために、上で触れたその他の変数にも目を配っておこう。モデル2と5から一人あたりGDPの高さ、つまり豊かさは死者数を増やす影響をもたらすが、モデル3と6から陽性者数を取り除くと影響が見られなくなることが示唆される。またモデル2と5から、65歳以上人口の多寡は死者数と関係しないようにも見えるが、モデル3と6において陽性者数の影響を勘案すると、やはり高齢化が死者数を増やす傾向が統計的有意に見られる。基本的に豊かさは感染するまでの問題であり、高齢は感染してからの問題だ、ということがこの結果からうかがわれる。
以上の分析から、政治体制とコロナウイルス死者数とのあいだには見かけ上の相関関係しか存在しないこと、すなわち、権威主義国家の優位は、データの透明性などの要因を考慮した上で分析すると見出せなくなることがわかる。こうした結果は、超過死亡率を利用した最近の研究ともおおむね一致する(Badman et al. 2021)。近代の幕開けとともに進展してきた政治的民主化や自由化は、200年以上にわたり、人々の健康に良い影響をもたらしてきたのであり(Annaka and Higashijima, forthcoming)、その世界的傾向はコロナ禍においても揺らいではいない。データの透明性が高いという一種のハンディキャップを考慮すれば、民主主義という政治体制の持つ望ましい効果に疑いを向けることが早計であることを示唆している。