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東京五輪開催について説明責任を果たせなかったことが菅政権を退陣に追い込んだ 尾身茂

尾身 茂(新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)/聞き手:牧原 出(東京大学先端科学技術研究センター教授)
尾身 茂氏
 コロナ禍にあって、景気対策「Go Toキャンペーン」の実施や「東京五輪」開催などを巡り、国民からの批判にさらされ、時に感染症の専門家とぶつかった菅義偉前首相。菅政権に欠けていたものは何か。尾身氏に語ってもらった。
(『中央公論』2021年11月号より抜粋)

説明責任は政治の1丁目1番地

牧原 菅義偉首相は9月3日、自民党臨時役員会で「新型コロナウイルス対策に専念したいので総裁選に出馬しない。任期は全うする」と述べ、辞任の意向を明らかにしました。尾身先生はいつの段階で知りましたか。

尾身 知ったのは、その日です。この日、私が会長を務める新型コロナウイルス感染症対策分科会が「ワクチン接種が進むなかで日常生活はどのように変わり得るのか?」(編集部注:いわゆる「出口戦略」)について提言する予定でした。記者会見用の資料を作っている時に政府のほうから菅首相が辞任する意向だとの連絡が来ました。驚きましたが、そういうこともあり得るかなと感じました。総裁選には立候補されるだろうと思っていましたが、逆風が吹いているということも耳に入っていました。大変だったと思います。

 菅政権だけでなく安倍政権の頃から、政府と専門家の関係は大きな課題です。今になっても変わっておらず、この課題は、将来に向けて乗り越えなくてはなりません。我々は毎日、感染症のデータを見て、科学的、客観的に現状を評価し、信じるところを政府に提案してきました。そのスタンスは全く変わっていません。

 政府は、基本的に我々の提言のほとんどを受け入れてくれるのですが、どうしても譲ることができない「硬い」ところがあるのです。国の景気対策「Go Toキャンペーン」がそうでした。分科会が、感染拡大地域では都道府県知事の意見を踏まえ、「Go To」の運用を見直すよう提言しました。しかし、政府が、この提言を受け入れるのにはかなり時間がかかってしまいました。

 そして、最も硬かったのが「東京五輪」です。政府の五輪開催に対する思いは硬かった。我々は、専門家として科学的に評価して、人々に自粛をお願いしていくなかで五輪を開催すると、矛盾したメッセージになり感染が広がる危険性があると提言しました。もし、それでも開催したいなら、覚悟を決めて、しっかり対策を取ってくださいとメッセージを送ったわけです。

 私は、専門家は机上の空論、全くの理想論を提案しても意味がないと思っています。それには批判もあるようですが、できもしないことを言っても自己満足でしかありません。だから、政府が頑張ればできるところを提案してきたつもりです。しかし、それに対して、菅政権からは「あなたが言っていることは分かるけど、政府としてはこういう方法でやりたい」「一部賛成、一部反対。だから、こういう対策を実行したい」などの反応や説明がほとんどなかったのです。

 東京五輪について、政府が「開催したい理由とは、こういうことだ」「感染拡大の心配があるが、自分たちも汗をかいて感染対策を実行する。だから、国民の皆様も、このような行動を取ってください」などと誠実なメッセージを出していれば、人々の理解が深まり、国民全体の一体感が生まれた可能性があったと思います。

 政治家が専門家と違った意見を持って、異なったことを実行したいという時には、国民に対して、しっかりと説明する必要があります。そうすれば、国民は納得してくれるはずです。しかし、政府からは十分な説明がありませんでした。その結果、国民は政府が何を考えているのか分からなくなってしまった。飲食店の営業時間短縮やテレワーク実施の徹底などを求めても、国民の協力が得られにくくなった一因は、そこにあると思います。

 政治のリーダーには説明責任があります。私はここが、政治における「1丁目1番地」だと思います。政府は説明責任を十分に果たせなかった。そしてそれが、菅首相を退陣に追い込んだのだと思います。

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