楠木建 ダイバーシティ経営の根幹は「好き嫌い」にある

楠木建(一橋ビジネススクール教授)
楠木建氏
 経営者はもっと社員一人ひとりの「好き嫌い」を活かすことが重要だと語る一橋大学ビジネススクール教授の楠木建氏。それはダイバーシティ経営にも繋がるという……。(『中央公論』2022年5月号より)
目次
  1. 経営におけるダイバーシティは損得の問題である
  2. 喫煙も本来は「好き嫌い」の問題
  3. 年齢のフィルターを通して人を見ない

経営におけるダイバーシティは損得の問題である

 多様性の包摂は普遍的な価値観になっている。しかしそれ以前に、経営の観点から見ると、多様性がないことは単純に「損」なのである。

 経営の根底にあるのは損得勘定である。損得勘定とは、目先のカネを追うということではなく、長期利益を目指すことだ。顧客を騙したり、従業員を泣かせたりすれば、刹那的に儲けることはできる。しかし、それでは企業活動は続かない。顧客、従業員、投資家のすべてに満足してもらうには、長期利益を目指す以外にない。

 この経営の本質を考えれば、例えば、女性活用が重要なのは言うまでもない。人口のほぼ半分は女性なのだから、女性の能力を無視するということは、極端に言えば、人口の半分を見殺しにするようなものだ。経営にとって大損である。

 そして、仕事の組織に重要なのは、何より「能力」である。例えば、「顔の美しさで採用を決める」と言えば批判されるだろう。しかし、これがモデル事務所であれば、ほとんどの人が納得するはずだ。つまり、仕事の場で問題にされるのはあくまでもその人の能力なのである。 

 能力は必然的に多様だし、そもそもそこに組織が必要となる理由がある。一人の人間の能力には限界があり、さまざまな能力が必要だからこそ分業に基づく組織の概念が生まれてきたのである。分業とは、3人の人がいたら、それぞれの人が違う仕事をすることだ。なぜ違うかといえば、それぞれの持っている能力が違うからだ。その意味で、経営は、本来的に多様性に立脚している。

 繰り返しになるが、経営におけるダイバーシティとは、単純な損得の問題なのである。にもかかわらず、「やらなければいけない」などと言っている人がいる。経営にとってダイバーシティはそもそも「美味しいもの」。美味しいものを食べたいと思うのが普通で、「食べなければいけない」というのは奇妙な話だ。

多様性の最大の源泉は個々人の「好き嫌い」

 最近、リスキリング(新たにスキルを身につけること)やジョブ型雇用(職務内容を明確に決めて雇用すること)という言葉がよく使われる。たしかに、何らかのスキルを身につけるのは大切だが、私はそれよりもっと重要なのは、社員一人ひとりの「好き嫌い」を活かすことだと考える。「好きこそものの上手なれ」と言うように、能力の根底にはそれぞれの人の「好き嫌い」があるからだ。

 好きなことであれば、「あの人は努力している」と言われるようなことでも、本人は何の苦労もなく続けられる。本人にとっては娯楽に等しいからだ。私はこれを「努力の娯楽化」と呼んでいる。

 能力に磨きをかけるには、どれだけ継続的に修練できるかが鍵になる。好きなことは無理なく続けられるから、結果的に、能力として評価される仕事になっていくのである。

 重要なのは、「好き嫌いは一人ひとり違う」ということだ。当たり前のようだが、そこが「良し悪し」と違うところなのである。

「良し悪し」は、例えば、「嘘をついてはいけない」とか「時間を守る」「約束を守る」のように、社会の中で普遍的なコンセンサスとして成立している価値基準を意味している。いくら好きだと言っても、「殺人が好きだから」と実際に誰かを殺したら逮捕される。そのような悪行は社会が許さない。

 これに対して「好き嫌い」は、人によって異なる。内発的なもので、命令などの外からの力では変えられない。カネでも買えない。つまり、「好き嫌い」はインセンティブが効かないものなのだ。例えば、阪神ファンに「巨人を好きになれ」と命令しても巨人ファンに変えるのは難しい。「5000円やるから巨人ファンになれ」と言えば「なる」と言う人もいるかもしれないが、たぶんそれは嘘だろう。

「好き嫌い」は一つの基準に収斂する「良し悪し」とは逆のベクトルを持ち、もともと多様なものである。私は、個々人のこの「好き嫌い」こそが、経営における多様性の最大の源泉だと考えている。

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