楠木建 ダイバーシティ経営の根幹は「好き嫌い」にある

楠木建(一橋ビジネススクール教授)

喫煙も本来は「好き嫌い」の問題

 喫煙の例で考えてみよう。副流煙のように人に迷惑をかけることは良し悪しの問題だ。煙草の煙が嫌いな人に迷惑をかけてはいけないし、嫌いな人の近くで煙草を吸ってはいけない。しかし、喫煙所でルールを守って吸うのであれば、あくまでも個人の好き嫌いの問題だ。

 会社は仕事をするための組織なので、社員が気持ちよく仕事ができるかどうかが一番の課題だ。リモートワークで自宅にいて休憩の時に煙草を吸うのは何の問題もないし、会社に喫煙者がいるのなら喫煙所を置くべきだと思う。単純に気分良く働けるほうが仕事の成果が出るからだ。職場で喫煙を認めないことこそ多様性の否定ではないだろうか。

 煙草が好きな人が煙草を他人に強要すべきではないのと同様、煙草を吸わない人は、自分の好き嫌いを煙草を吸う人に強要するべきではない。「好き嫌い」でしかないことを、無理やり「良し悪し」にするからおかしなことになるのである。

 もう一つ、例を挙げるとすると、私には「選択的夫婦別姓制度」に反対する人のことが理解できない。仮に「強制的夫婦別姓制度」というものがあったとして、「同姓のほうがいい」とそれに反対するならわかる。しかし、「選択的」ということは、別姓にしたい人は別姓にすればよいというだけのことだ。私自身は同姓を好むが、うちの娘は別姓のほうがいいと言っている。それぞれ好きなほうを選べばいいだけの話だ。

 ようするに、これは「天丼・カツ丼問題」だ。天丼が好きな人にカツ丼を強要してどんないいことがあるのか。いやいやカツ丼を食べさせられる人が不幸になるだけで、誰も得をしない。

 多様性の問題にしても、無理やり「良し悪し」にせず、「好き嫌い」を軸に考えるべきだと思う。好みが違うのだから無理に合わせることはない。「好き嫌い」で争うのはおかしい。自分と好みが違う人がいても、気持ちよく放置する、というのが成熟した社会のふるまいだと思っている。

 例えば、オンラインで家で仕事をしたほうが成果が出るのであれば、オンラインにすればいい。リアルで仕事をしたほうが成果が出るのであれば、リアルでやればいい。すべての社員をオンラインかリアルのどちらかにしようとする人は、「良いこと」が一義的に決まっているという前提を持つ人だ。その考え方自体が多様性を抑圧している。何度も言うが、単純に損得で考えたほうがいい。

 ただし、「私はオンラインが好きで、そのほうが成果が出ます」と言っているのに、実際に成果が出ていなければ別問題だ。そこにあるのは、オンラインかリアルかという問題ではない。能力と適性の問題だ。「いまの仕事自体が向いていないから、違う仕事のほうがいいのか」「本当に得意なものは何なのか」などの検討が必要になってくるだろう。

終身雇用、年功序列は"日本的"経営なのか?

 仕事の組織は本来、「価値の交換」である。雇用主は能力を買い、労働者は能力を売っている。経営はこの価値交換の基本に戻るべきだと思う。

 最近は、よく「ジョブ型雇用」という言葉が用いられるが、本来、雇用はジョブ型以外にはない。それなのに、日本人は狩猟民族ではなく農耕民族だから、ジョブ型雇用は日本の文化とは合わない、メンバーシップ型雇用(職務内容を限定しない雇用)こそが日本の文化であり、終身雇用と年功序列が日本的経営だ、などと言う人もいる。

 しかし、第二次世界大戦以前、日本は終身雇用であるどころか、アメリカより労働市場の流動性が高いことが問題になっていたのはご存じだろうか。

 当時の日本の経済人は、「日本人はちょっと給料が安いとすぐに他の会社に行ってしまう」「アメリカで大企業が成立しているのは家族主義で経営しているからで、長期雇用のおかげで技術が蓄積し、大きな産業が育っている」と嘆いていた。

 当時、アメリカはデトロイトで自動車産業が発展していた頃で、それを見て「日本もアメリカのようにものづくりができる国にならなければいけない」、また、当時の日本は財閥支配だったので、「日本は金融資本が金融のロジックで商売をやっているから駄目だ」と現在とは全く逆のことを言っていたのである。

高度成長期には合理的だった年功序列

 終身雇用、年功序列は、一度採用したら能力にかかわらず雇用し続け、年次に応じてポストと給与を上げていかなければいけないという仕組みだ。論理的には破綻している。

 ところが、高度経済成長期には、この仕組みに合理性があった。年功序列は評価の基準がオープンかつクリアだし、一人ひとりを評価するためにかかる莫大なコストが不要になる。それで社員が納得して働くわけだから、これほど効率的な経営はなかった。

 ただし、この特殊な経営が成り立つには、猛烈な勢いで売上が伸びていかなければならない。終身雇用、年功序列は超論理的な「戒厳令」とでも言うべき人事制度だが、高度経済成長期という異常な状態にはマッチしていた、つまり得だった。しかし、その外的な条件がなくなれば、当然のことながら戒厳令は引っ込めなければならない。いつまでもそれを続けている会社は損をしているということだ。

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