細谷雄一 「宰相安倍晋三論」――吉田ドクトリンに代わる新外交路線とは

細谷雄一(慶應義塾大学教授)

安倍晋三の三つの顔

 2022年7月8日の安倍元首相銃撃事件は、日本国民、そして世界の人々に衝撃を与えた。日本国内のメディアは当然としても、CNN、BBC、アルジャジーラなど、世界の主要メディアも一斉にトップニュースで、この日本の元首相の突然の死去を報じた。

 それとともに、2度にわたって政権を担当した安倍について、回顧する特集がさまざまなメディアで組まれることになった。かつての吉田茂以上に、安倍への評価は分裂している。なぜそれほどまでに安倍の評価は分裂し、対極的ともいえるような「親安倍」と「反安倍」の立場に分断されているのか。それを理解する手掛かりとして、安倍が異なるいくつかの顔を持つ政治家だったことを最初に確認しておく必要があるだろう。

 まず、保守政治家としての、ナショナリストとしての顔である。安倍は、2006年に刊行した『美しい国へ』の「完全版」である、2013年刊行の『新しい国へ』(文春新書)のなかで、自らの立場を「開かれた保守主義」と位置づけている。また同時に、自らの経験を振り返って、「大学にはいっても、革新=善玉、保守=悪玉という世の中の雰囲気は、それほど変わらなかった」と想起する。「あいかわらず、マスコミも、学界も論壇も、進歩的文化人に占められていた」という。

 安倍のいう「開かれた保守主義」とは何か。それは安倍自らの言葉を用いれば、「この国に生まれ育ったのだから、わたしは、この国に自信をもって生きていきたい」というような立場である。さらに安倍は、「保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思う」という。

 このように安倍の考える保守主義は、彼自らがイデオロギーではないと明言しているところが重要である。彼に対する批判の多くは、おそらくイデオロギーとして彼が「保守主義」を拡げようとしていることへの懸念であったのではないか。また「閉じられた保守主義」として、硬直したナショナリズムに突き動かされていることへの懸念であったのではないか。だが、それは安倍が否定したものであり、より柔軟でプラグマティックな政治姿勢がその統治の特徴であった。

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