細谷雄一 「宰相安倍晋三論」――吉田ドクトリンに代わる新外交路線とは
細谷雄一(慶應義塾大学教授)
日常生活のなかの「誇り」
安倍にとっての「開かれた保守主義」とは、「この国に自信をもって生きていきたい」というような一般的感覚なのだろう。それゆえに、同書で「ナショナリズム」を論じる際にも、1964年東京オリンピックのエピソードから始めている。たとえば、重量挙げで、「世界中の大きな人間と競いあって、日本人が勝ったという誇らしげな気分」に触れて、そこに一つのナショナリズムを見ている。
1954年生まれの安倍にとって、東京オリンピックはまだ小学生、いわば幼少期の経験であった。だが、「日本が世界にむかって、その存在をこんなに誇示しているのかと、新鮮に思った」のであり、また「幼いながらも誇らしい気持ちを抱いた」という。
ここに、安倍が6度にわたって国政選挙で勝利した一つの理由が垣間見えるのではないか。すなわち、イデオロギーとして保守主義やナショナリズムを排他的に掲げるのではなく、オリンピックというスポーツ競技大会や、日常生活のなかから、日本の「自信」や「誇り」を回復しようと試みたことが、日本国民の多く、そして有権者の多くの共感を呼び、幅広い支持を生んだのだろう。
他方で安倍からすれば、吉田茂がサンフランシスコ講和条約で達成した独立は十分とはいえなかった。それゆえ、次のように述べている。すなわち「五一年のサンフランシスコ講和条約の締結によって、形式的には主権を回復したが、戦後日本の枠組みは、憲法はもちろん、教育方針の根幹である教育基本法まで、占領時代につくられたものだった」のだ。
安倍は、「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地からつくりださなければならない」という。ここに、吉田茂と安倍晋三の「哲学」の違いが見えるだろう。
(続きは『中央公論』2022年9月号で)