菅 義偉 安倍さんは私にとってあこがれだった
(『中央公論』2022年9月号より抜粋)
安倍さんが、撃たれたらしい──。7月8日、事件の第一報を受けたのは、羽田空港に向かう車の中でした。発生からそれほど時間が経たないうちに聞きました。
途中で車を止めて、情報を集めました。そうこうしているうちに、党本部では参院選の遊説はやめようという雰囲気が出てきました。私が行く予定だった沖縄での遊説も中止が決まったので、それだったら安倍さんのいる奈良に行こうと決めました。
早い段階では、安倍さんが撃たれたのは胸だと聞いていました。私が「右か、左か」と聞いたら、「左だ」と言うので、万が一のことを考えました。それが本当だったら大変なことになる、できるだけ早く行って、そばにいてあげたい、そばに行って同じ空気を吸いたい、と。
安倍さんはにぎやかなところが好きだったんですよね。寂しがり屋でした。たぶん病院には人があんまりいないだろうから、という思いでした。
新幹線に乗って、京都駅に着いたのが午後4時ぐらいでした。京都から奈良に車で向かったら、すごい渋滞で、時間がかかった。
新幹線や車に乗っている間、いろいろな人からどんどんメールが来たが、悲観的な内容のものが多くなってきて。「ああ、早く着いてくれないかな」と考えていました。
信頼できる人から「亡くなった」というメールが来ましたけど、信じたくはなかった。とにかく直接会って、自分で確かめたい。そんな思いでしたね。
奈良に着いたのは、6時過ぎでした。安倍さんは検死中でした。昭恵夫人にごあいさつし、対面できるのを待ちました。会うことができたのは、8時過ぎだったんじゃないかな。
対面した時には、「ありがとうございました。お世話になりました」と、そんな趣旨の言葉を言ったと思います。そばには昭恵夫人と、何人かの議員がいました。
こんな事件が起きるなんて、あり得ない。日本にとって大きな損失だと思います。悔しくて、悔しくて、しょうがなかった。いろいろなことが重なったのでしょうが、防げない話ではなかったでしょう。