森 喜朗 あうんの呼吸で「3期目」に備え
東京五輪の1年延期 「希有」というより「奇跡」
7月21日に夫人の昭恵さんが葬儀のお礼にこの事務所に来られて、ランチを一緒にしながら話した。思ったよりは元気でしっかりしておられた。
二人が結婚した時、山口県下関市の安倍さんの後援会の結成大会に私も一緒に行った。正面に座っていた二人とも、緊張でガタガタと震えていたことを思い出し、その話をした。「あの頃からずいぶん長い時間が経ちました」と言っていた。私の最初の選挙に安倍さんの祖父の岸信介さんに応援に来てもらい、それから父の晋太郎さん、晋三さんと3代のお付き合いだからね。昭恵さんに「二人で後継者を決めましょうか」と冗談で言ってみたら、「私はそういうことに一切関与しません」と言っていた。政治はやりたくないということだ。
昭恵さんが言うには、安倍さんは東京五輪・パラリンピック大会のことを一番喜んでいたそうだ。2016年のリオデジャネイロ五輪の閉会式にスーパーマリオの扮装で登場したことについて、「自分はちょっと嫌だと思っていた。森先生がやれと言うからやったのだけれども、あんなに評価が高くなるとは思わなかった。いい思い出になった」と言っていたそうだ。日本国内でやったのなら、やはり日本のメディアは叩いたと思うが、海外メディアが評価したから、日本でもケチをつけられなかったのでしょう。我々の予想以上に好評で、海外メディアがあんなに喜ぶとは思わなかった。安倍さんに良い思い出を作ることができたと思っている。
東京五輪・パラリンピック大会はコロナ禍の中で、1年延期して成功した。延ばすこと自体が前例のない大変なことだった。新型コロナの状況を見て、私は2年ぐらい延期した方がいいかなと思ったが、安倍さんは「1年にしよう。1年でいいよ」という考えだった。
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長はなかなか老獪な人で、本当は延期したいのだけれども、自分で決めることはしない。「誰かがそう決めたから」という形に持っていきたかった。一番いいのは開催国の日本国政府の判断だ。総理大臣の安倍さんから直接、電話でバッハ会長に話すのがいいということになった。バッハ会長から私に電話をくれるというので、安倍さんに来てもらって、直接言ってもらうことにした。それで安倍さんが1年の延期を伝えると、バッハ会長は喜んだんだよ。
コロナ禍で観客が一人もいない中で、あれだけのオリンピックを開催できたのは世界のオリンピック史上、「希有なこと」ぐらいではすまない、「奇跡」に近いことだと思う。それをやり遂げるには、やはり、政府や大会組織委員会が一体にならないことにはできなかった。その時のリーダーが大事で、日本のリーダーは安倍さんであり、組織委は私、IOCはバッハ会長だった。誰かが「(開催は)やめよう」とか、「(延期は)問題だ」ということだったら、うまくいかない。幸い、皆の気持ちが一つになった。オリンピックを開催したい、そういう決断でやろう、ということだった。「やって後悔する」か「やらなくて後悔する」かのいずれかであれば、「やるべきだ」と。やらなければ何も残らない。安倍さんと気持ちを一つにして、開催できてよかったなと思いますよ。