大井赤亥 1993年体制と「3・2・1の法則」――政治的選択肢の健全な拮抗のために

大井赤亥(広島工業大学非常勤講師)

「保守・旧革新・改革」の三極構造

 1994年の政治改革以来、日本政治は政権交代可能な二大政党制を目指しながら、2022年参院選をへてなお、自民党の「一強」を前に、対抗勢力は民主党系野党と維新とに大きく二分化され、政党対立はぎこちない三極構造を示している。

 かつて政治学者の平野浩は、2000年代初頭の論文で、1990年前後の日本政治における三極構造を指摘している。すなわち、憲法や安全保障をめぐる従来の「保守」と「革新」の対立軸上に、民営化や規制緩和、行政改革を掲げた「ネオ・リベラル」が出現し、それが日本の政党対立を再定義した。その結果、政党の政策的布置は、伝統的な「保守」と「革新」に「ネオ・リベラル」が加わった三極構造をとるものとなり、有権者自身の政策的選好もまた、三つの極のそれぞれをめぐって、濃淡はあるが比較的均等に布置しているというのである。平野の指摘したこの三極構造は、結局、1990年前後から現在まで、日本政治を30年にわたって規定することになった。

 日本政治における「保守・旧革新・改革(ネオ・リベラル)」の三極構造について、その起源は明白であり、1993年の政界再編と「非自民保守系改革派」の誕生に遡ることができる。自民党分裂によって、新生党、日本新党、新党さきがけという保守系三新党が登場し、それらがポスト55年体制における現状変革の結集軸として「改革」を掲げることになったのである。

 これら保守系三新党の性格は、いずれも「非自民保守系改革派」と総称できよう。それは文字通り、「非自民」でありながら「革新系」ではなく「保守系」で、何をもって自民党に対峙するかといえば「改革」を旗印とする勢力であった。その上で三新党は、従来の官僚政治や利益誘導、それにともなう「既得権」や金権腐敗を批判し、公共事業削減、規制緩和、地方分権を唱えていく。

 政治学者の蒲島郁夫(かばしまいくお)によれば、1993年衆院選で保守系三新党に投票したのは、保守中道的でイデオロギー的に穏健ながら、自民党政治には不満を抱き、政権交代が必要だと感じていた有権者であった。「革新」の掲げる社会主義を望むほど急進的ではないが、「保守」による積年の一党支配にも不満を抱くポスト冷戦期の有権者にとって、「非自民保守系改革派」はその利害や価値観を引き受ける新しい選択肢となっていったのである。

 経済学者の正村公宏(まさむらきみひろ)の主張には、1990年代の三極構造のイメージが典型的に示されている。すなわち、「保守」とはその場しのぎで困難を切り抜ける旧来型の官僚政治であり、それは「日本型システム」の欠陥を放置してきた。他方、「革新」とは季節はずれにも社会主義の革命幻影を追い続ける勢力である。それに対して「改革」は、冷戦終結後の日本にあって社会経済システムの構造的変革に乗りだす勢力なのであった。

1  2  3  4