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大井赤亥 1993年体制と「3・2・1の法則」――政治的選択肢の健全な拮抗のために

大井赤亥(広島工業大学非常勤講師)

二大政党制の企図と三極構造の現実

「保守・旧革新・改革」の三極構造をもたらした1993年の政界再編は、同時に、小選挙区制によって二大政党をもたらそうとする「平成デモクラシー」の起源でもあった。競争的な二大政党制を人為的に作りあげようとする「平成デモクラシー」の企図と、市民社会の有権者に根を張る三極構造の現実とは、どのように折りあってきたのだろうか?

 ここで想起されるべきは、政治改革の主眼は競争的二大政党制の形式を作ることであり、どのような性格の二大政党が対峙するのかという実質は、それぞれの論者や政治家に委ねられていたということである。その結果、小選挙区制を導入すれば、どのようなプロセスで、どのような二大政党がもたらされるかについて、政治改革を主導した政治エリートたちは同床異夢であった。

 たとえば、政治改革を主導した小沢一郎の見立ては、自民党の肥大化と分裂による「保守二大政党制」であった。小沢によれば、小選挙区制で選挙をやれば自民党は400前後の議席を得て水ぶくれする。そうなると自民党は内部崩壊し、これに外部から政治刷新を求める動きと野党再編が絡んで必然的に二大政党に移行するという。当時の小沢は、政党政治を飴細工のように操れるという万能感に満ちている。

 他方、政治学者の山口二郎による政治改革へのコミットは、イギリスの保守党と労働党をモデルとした、「保守vs.中道左派」の二大政党制に期待をかけるものであった。かねてから社会党の現実路線化を主張してきた山口が、民主党結党後はそのリベラル化に向けて活発な提言を行ってきたのは周知の通りである。

 これに対し、民間政治臨調の内田健三の見通しは、小選挙区での対立図式は「自民党vs.保守系無所属vs.革新系」の三つ巴を含み、衆院選を繰り返すなかでどれか一つが淘汰され、イギリス型の保守党対労働党的な構図か、それともアメリカ型の共和党対民主党的な構図かに収斂するというものであった。

 ことほど左様に、小選挙区制が二大政党化を招くといっても、それにいたるプロセスや対立構図の中身については、それぞれの理想図が交錯していたのである。

 政治改革以降の日本政治は、たしかに内田が指摘したように、「自民党vs.保守系無所属vs.革新系」の三つ巴の様相を示していった。しかし、1996年以降、小選挙区制で9回の衆院選を繰り返しても、三つの選択肢が二つに絞られることはなかった。政党も有権者も、その利害や価値観を表出させる選択肢を二つに収斂することができず、二大政党制を目指した制度の下で、なお三極構造が継続されているのである。

 政治学者の升味準之輔(ますみじゅんのすけ)はかつて、1955年にできた政治的均衡を「55年体制」と名づけた。すなわち、いくつかの川が1955年に大ダムに集約され、安定が生まれた。いずれはさらに大きなダムができるだろうが、現在の政治は55年体制というダムのなかにある、と。

 果たして、1993年にダムは決壊して水は奔流となりほとばしった。しかし、この30年間を振り返ると、統制なく渦巻く激流のなかにも、それを整理するパターンが浮かび上がる。すなわち、1993年以降の日本政治は「保守・旧革新・改革」の三極にまとめられ、実際にそれを担う政党のラベルは変遷してきたし、無視しえぬ例外もあるものの、この三極構造は政策的布置と力関係において、現在まで大きく変わっていない。この「保守・旧革新・改革」の三極構造を、「55年体制」のひそみに倣い、「1993年体制」と名づけてみたい誘惑に駆られるのは、けだし政治学者として必然であろう。

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